この本は、読書術という言葉から連想されるような、単なるハウツー本ではない。読書という営為が人生に与える意味から、読者と社会の関わり合いへの影響までを論じた、哲学書のような本である。
第一章で、一人一人の時間が金銭的価値として社会に搾取されてしまう現代社会において、再読や独学が自分の時間を守る「セルフケア」として機能することを叙述する。第二章では、読書のスランプの構造及びそれに陥る原因と、その解決策の一つとしての再読への慣れという方法が示される。第三章では、「バーンアウト」という現代人が陥りがちな問題と多読との関連性に言及しつつ、燃え尽きを避けて自分の時間を大切にする方法論としての再読について論じる。第四章と第五章は「実践編」と銘打たれている。第四章では、古典、ベストセラー、新しいジャンルの本という区分けに基づき、それぞれの内容に適した再読の方法を提示する。第五章では、イタリア人作家、ロシア人作家、日本人書評家の言説を紹介する中で、読書を通じて自分の頭の中の知識のネットワーク(テラフォーミング)の質を高めていく方法について考察する。
第一章で著者は、ミヒャエル・エンデの『モモ』を引きあいにだし、現代社会では我々の時間が「買いたたかれている」と主張する。ショーペンハウアーは『読書について』で、読書とは「他人が書いたものを読むことで、自分の頭で考える代わりに他人の頭で考えること」であると言ったが、永田もまた、時に本というメディアから離れて自分の頭で考えることが、他人の思考の文脈に沿って考えることよりも重要であり、それは同じ本を複数回読む中で促されると主張する。
本書のテーマは、現代社会に生きる我々が大量の情報の中で「今現在の自分自身」の時間を生きるための「再読」のすすめである。その要点とは、自分の人生に必要な情報だけを確実に取捨選択するために、過去に読んだ同じ本と再度関わりを持ち、丁寧に理解し直すことだ。それにより、知識の収集以上に重要な意味を持つ、自分自身の感性の変化についての理解が得られる。また、再読に値する本に出合うまでの乱読期に「ビオトープ(様々な要素が共生する快適な環境)」が読者の脳内に構成されること、再読によってビオトープをより高品質で管理しやすいものにする意義が説かれる。読書の目的は、知識の収集ではなく、自らの持つ知的空間をより体系的かつ人生にとって有意義なシステムにしていくための継続的な手段なのである。
本書では、我々の知的営為に関わる知のネットワークをその性質と規模に応じて三種類に整理する。一つ目が、読者の脳内に形成された知識のネットワーク(ビオトープ)。二つ目が、書籍によって繫がれた情報のネットワーク。最後に、一つ一つの言葉どうしのネットワークである。著者によれば、これらのネットワークが、「最初に読むとき」と「再読するとき」との時間のズレの中で組み替えられ、このズレが「読者の生きた時間を象徴する。本質的には、世界中に散らばる知識が一人一人の人間の脳内ネットワークの中にあるか、あるいは実態を持つ特定のデータベースに存在しているのか、という差異は一般的に意識されるほど重要ではなく、時間的な隔たりの中でネットワークどうしの関わりを緊密にしていくことが、読者一人一人にとって有意義な知的営為であると示されている。
この本は「再読の意義」という具体的な論点に絞り込んで展開されているので、以前の私のように本との付き合い方や読書の方法に自信が持てない方に、読書論の最初の一冊としておすすめである。また、「再読」は昔の自分と今読んでいる自分の感性の違いを実感させてくれる行為であることが丁寧に指摘されているので、自分の成長を振り返りながら着実に本と一緒に人生を歩んでいきたい方にも、ある種の人生の指南書としておすすめである。
★まえかわ・しゅう=東京大学大学院博士課程。ミクロネシア地域の生活習慣病の問題を歴史学、文化人類学、農学などを活用して研究している。趣味はゲーセン、ときどきショッピング(ファッション)。