出版社直送!きっと読みたくなる、今年の夏文庫
<読者へのメッセージ/文庫読みどころ紹介>

 著者による「読者へのメッセージ」あるいは書評家・評論家による「文庫読みどころ紹介」を掲載。今夏注目の文庫本をご紹介します。

 角川文庫

青崎 有吾著
『地雷グリコ』
448頁・1144円
角川文庫

ひりひりする勝負の連続
馴染みある遊びをベースにした独自のゲームに驚嘆
藤田 香織

 第三十七回山本周五郎賞、第七十七回日本推理作家協会賞(長編および連作短篇集部門)、第二十四回本格ミステリ大賞(小説部門)などを受賞し、「このミステリーがすごい!」や「週刊文春ミステリーベスト10」ほか、多くの年間ベスト本ランキングを制覇した話題作である。
 ともすれば安易に使われがちな「話題作」だが、本書が刊行された二〇二三年末は、ミステリー評論家のみならず、あらゆるジャンルの「本読み」から、読んだ? 面白かったよね! まいった! やられた!という声を聞いた、正真正銘、まごうかたなき「話題の作品」だ。
 都立頬白高校に通う一年生の射守矢真兎が、学内外でさまざまな勝負に挑む連作で、「地雷グリコ」「坊主衰弱」「自由律ジャンケン」「だるまさんがかぞえた」「フォールーム・ポーカー」と題された五つの戦いは、すべて老若男女によく知られたゲームがベースになっている。
 じゃんけんをして勝った者が出した手の数だけ先に進めるグリコ。百人一首を使った坊主めくり。グー・チョキ・パーで勝敗が決まるじゃんけん。昭和の定番だっただるまさんがころんだ。そしてカードゲームの王者ポーカー。「遊び」として馴染みがあるからこそ親近感が湧き、そこにプラスされる独自のルールに興味を惹かれる。
 こうした〈「多くの人が知っているゲームに少しだけルールを付け加える」という形でオリジナルゲームを考案している〉本書の巧さや心にくさを、文庫版では作家の小川哲が解説しているのだが、ユーモアを交えつつも見事な補助線となっていて、より理解も深まり、物語の楽しみが広がる。解説はかくありたいと唸る、文庫ならではの読み応えだ。
 では、なぜ真兎たちは、そうした謎の戦いを続けているのか。帯に記された「最高級の頭脳戦!」は何のために繰り広げられるのか。「理由」はほどよくくだらない。文化祭で一番人気の屋上を使用する権利の奪い合い、かるた部が出入禁止になった〈かるたカフェ〉のマスターの懐柔。真兎を生徒会に引き入れようとする会長からの挑戦や、他校から流失した一枚十万円のチップの争奪。命を懸けるわけではなく、負けたからといって人生が終わるようなこともない。
 なのに、にもかかわらず、ひりひりする。
 「理由」だけを書き出してみれば、どうでもいいようにさえ見えるのに、読み進めていくうちに胸が熱くなり、真兎にエールを送らずにはいられなくなる。次第に色濃くなっていく青春力に圧倒され、懐かしくて羨ましくてなんだかにやにやしてしまう。飄々としていて真面目そうとは言い難い真兎が、小学生のころから処世術として〈ヘラヘラすること〉を身につけた経緯も、常に側で介添役を果たしてくれる「鉱田ちゃん」との関係性もじわじわと沁みる。ひりじわが過ぎるのだ。
 肝である「独自のルール」に驚嘆するだけじゃない。この夏、絶対に負けない戦いを、とくとご堪能あれ。(ふじた・かをり=書評家)

 光文社文庫

青山 美智子著
『リカバリー・カバヒコ』
256頁・880円
光文社文庫

カバヒコは、何もしない
変わらず、必ず、そこにいてくれる
青山 美智子

 カバヒコは、何もしない。
 一言もしゃべらないし、一ミリも動かない。だから的確なアドバイスをくれたり、涙を拭いてくれたり、踊って楽しませてくれたりしない。
 なのに、なぜだろう。登場人物たちは皆、カバヒコに悩みを打ち明ける。そうすることで、彼らは心を修復していく。カバヒコはただ、そこにいるだけなのに。
 「小説宝石」での連載小説の依頼を受け、編集者と打ち合わせをしたのは二〇二一年五月のことだ。まだコロナ禍で、指定されたホテルのラウンジにもアクリル板があった。透明な板を挟み、私たちは、どんな小説にしようかと案を出し合っていた。
 あらかじめ用意していたいくつかのアイディアの中に、「とげぬき地蔵のような話」があった。自分の体の痛む部分と同じ箇所を洗うと治癒するという、巣鴨の地蔵尊である。私はずっと、この効力について書きたかった。
 アクリル板越しに編集者と向かい合い、私は、この板が早く外れてほしいと思った。世界がこの非常事態から回復することを心から願っていた。
 そんな話をしながら、あっというまにプロットが仕上がった。自分の治したいところと同じ部分をさわるとリカバリーするという伝説を持つ、公園のカバのアニマルライド。人呼んで「リカバリー・カバヒコ」。
 神社の鈴の縄さえも上げられ、握手もできない時期だった。「さわる」という効果の素晴らしさを書き留めたかった。カバとリカバリーを掛けたのはとっさのダジャレであったが、タイトルはこれしかないという確信もあった。
 単行本発売後、光文社さんがわざわざ工場に発注して、実物のアニマルライドのカバヒコを作ってくれた。リアル・カバヒコは書店を巡業し、イベントに登場し、確実に私よりもたくさんのプロモーションをこなして大活躍してくれている。
 むろん、カバヒコは、何もしない。
 一言もしゃべらないし、一ミリも動かない。だから宣伝トークをしたり、手を振って愛想をふりまいたり、本にサインを書いたりしない。
 なのに、なぜだろう。作者の私がびっくりしてしまうくらいに、カバヒコは多くの人にかわいがられている。カバヒコはただ、そこにいるだけなのに。
 ただ、そこにいる。それがカバヒコが愛される理由なのかもしれないとも思う。この不確かな社会の中で、「変わらず、必ず、そこにいてくれる」という事実は、どっしりした安心感を与えてくれるのではないか。
 世界はリカバリーした。人々は集えるようになり、触れ合えるようになり、海を渡って行き来することもできるようになった。この作品に込めた願いが叶ったことで、カバヒコには本当に「ご利益」があるんじゃないかという気がしている。
 本作が文庫化されたとき、光文社さんが拡材としてカバヒコのアクリルスタンド兼キーホルダーを作ってくれた。私はそれを見て、ふと思った。もしかしたらこれは、あのときのアクリル板の、喜ばしいリカバリーの姿なのではないか、と。(あおやま・みちこ=作家)

 集英社文庫

堂場 瞬一著
『デモクラシー』
496頁・1210円
集英社文庫

理想の民主主義を求めて
民主政治をめぐる〝ファンタジー〟
堂場 瞬一

 民主主義って何なんだ?
 ということを昔から考えてきた。もっと具体的に言えば、現在の議会制民主主義は果たして理想的な政治システムなのだろうか、と悩み続けてきた。
 政治の「劣化」がずっと気になっているからだ。選挙で選ばれた政治家は、きちんと民意を反映した政治を行っているか? 「政治と金」は何故いつでも問題になる?こういうことが解決しないのは、選挙で議員を選ぶ今の議会制民主主義が、根本的に何か重大な問題を抱えているからではないか?
 同じ民主主義でも、直接民主制はどうだろう。本当に国民全員が集まって、賛成か反対かを討議する。それこそ完全な民意の反映だが、今の日本で物理的にそれを実現するのは難しい。
 そこでインターネットだ。誰でも使える、参加できるこのネットワークを使えば、国家の一大事も「国民総投票システム」で一気に決定できるのではないか? 民意が確実に反映されるし、無駄がない。国会はなくして、ネットを議論・決定の場にするのだ。
 ——なんていうことを、SNSでつぶやくと、バズるかもしれない。しかし作家たるもの、バズって満足では商売にならない。そもそも小説にしないと、作家のアイデンティティが崩壊するのではないか?
 などとあれこれ考えながら取り組んだのが『デモクラシー』という作品である。とはいえ、かつて大学で政治を学んだ人間の「常識」のようなものが優ったのか、あらゆる法案などを国民総投票システムで決めるのはリアリティがないと判断して回避し、ランダムに「国民議員」を選出する仕組みを採用した。国民の代表は選ぶが、選挙というシステムは撤廃するわけだ。これで大幅な経費削減が実現するわけだし、当然、選挙絡みの不正も消滅する。
 あくまで思考実験である。こういうシステムは上手くいくのかな……と思って書き始めたら、案外無理がない。今のように国会議員に任せなくても、様々な意思決定は可能なのではないか? そもそも国民の誰もが政治に直接参加する可能性が生じることで、今よりも国民と政治の関係が近く、濃くなるのは間違いない。これは民主主義の新しい「学校」かもしれない。
 悪くないシステムではないだろうか。しかし一つ、大きな問題がある。
 現在の国会議員が、「国会を廃止して国民議員の制度に切り替えます」などと言い出すわけがない。
 人は権力を握った瞬間に、保守的になる。権力を手放さないために、ありとあらゆる方策を使う。だから、国会議員が「自分で辞めます」とは言い出さないはずだ。
 そういう意味でこの作品は今のところ、完全にファンタジーである——今後も? どうだろうか。(どうば・しゅんいち=作家)

 新潮文庫

伊坂幸太郎、江國香織、恩田陸、梨木香歩、町田そのこ、宮部みゆき、米澤穂信著
『プレゼント』
320頁・825円
新潮文庫

七人の作家による夏の夢
「夏」をテーマに短編の妙技を競う
かげはら 史帆

 もしも「文庫本」に季語があるとすれば、それはきっと夏だろう。児童書コーナーから脱出したいお年頃を迎えた夏、書店の一角で私を待っていたのは、版元ごとにずらりと並ぶ文庫の小宇宙だった。その筆頭たる「新潮文庫の100冊」は、今年二〇二六年でなんと誕生から半世紀を迎えたという。本書『プレゼント』は、それを記念して発売されたアンソロジーである。
 伊坂幸太郎、江國香織、恩田陸、梨木香歩、町田そのこ、宮部みゆき、米澤穂信。いずれも説明不要な作家たちが、「夏」というテーマで短編の妙技を競う。物語のテイストも「夏」の扱いも七作それぞれ異なる。ストーリーは実際に読んでお楽しみいただくとして、ここでは、それぞれの作品において「夏」がどんな存在として描かれているかにフォーカスしたい。
 伊坂幸太郎「ウッドペッカー荘事件」では、日本の夏の「長さ」──つまり「春から秋までずっと暑い」昨今の気象事情と、シェイクスピアの『夏の夜の夢』の舞台が実は四月下旬であるというトリビアが重ね合わせられ、事件解明の道筋となる。江國香織「二つの宇宙」は、主人公の男子大学生と祖母とガールフレンドをめぐるひと夏の物語で、終盤の「十九歳というのは夏の夕方みたいなもの」という鮮やかな言葉が印象に残る。宮部みゆき「真実のトランク」は、主人公の中年女性が働く二軒のバーで起きた事件をめぐる物語で、彼女は「夏の真夜中のよどんだ湿気」に神経を狂わされながら、事件の真相にふいに思い至る。町田そのこ「きっとあの日の光と同じ」は、恋愛に憧れる高校生男子が主人公。ビーチサンダル、アイス、コーラ、手持ち花火など、夏の若者アイテムがこれでもかと詰め込まれ、まぶしい青春をポップに活写する。米澤穗信「無明」は、東京都心部の過酷な夏とシングルマザーの貧困が掛け合わされた社会派作品で、「暑いのではない、苦しいのだ」という嘆きの言葉が重いリアリティに満ちている。梨木香歩「見越しのマツ」は、「夏にストーブをつけて洗濯物を乾かそう」とする若い隣人一家の奇行に主人公が違和感を覚えるところから物語が大きく前進する。恩田陸「伝説の季節」は、同氏の名作『六番目の小夜子』のスピンオフで、進学校の夏休みの閉塞感のさなかに現れた「サヨコ」と主人公の関根春が奇跡の邂逅を果たす。
 夏は単なる物語の舞台であるだけでなく、記憶であり、カルチャーであり、事件の謎解きの伏線であり、社会の暗部であり、狂気の磁場である。「ウッドペッカー荘事件」では、シェイクスピアの『夏の夜の夢』からこんな言葉が引かれている。「お気に召さなかったら、夢だと思ってください」──七作いずれの作品のラストに添えられていてもおかしくない一言だろう。幸い今年は七月初頭まで涼しかったが、いまは夢だと思いたいくらいの夏の盛り。夏に夏らしい読書を楽しみたい人にお薦めしたい文庫本である。(かげはら・しほ=作家)

 中公文庫

田中 ひかる著
『明治のナイチンゲール 大関物語』
360頁・924円
中公文庫

人と人が出会い、織り成す歴史
日本で最初の看護婦たちの物語
田中 ひかる

 NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「風、薫る」の原案となった『明治のナイチンゲール 大関和物語』は、日本で最初に看護婦(現在の看護師)となった女性たちの群像劇です。
 当初は大関和1人の人生を描こうと思っていたのですが、和について調べているうちに、看護婦養成所の同期生として出会い、紆余曲折の看護婦人生をともに歩んだ鈴木雅の存在感が次第に増していきました。和も雅も互いの存在なくしては、これほどドラマチックな人生を送ることはなかったに違いないと確信した私は、2人の人生を主軸に物語を書くことにしました。
 朝ドラ「風、薫る」も、2人の看護婦によるバディものとして描かれていますが、本書はあくまで「原案」。ドラマはオリジナルストーリーです。本書を読んでいただいてもネタバレにはなりませんので、ご安心ください。
 和と雅について調べていくと、芋づる式に次々と魅力的な人物が現れてきました。たとえば、一般的には「鹿鳴館の華」として知られている大山捨松。彼女は明治のごく初期に岩倉遣外使節団の女子留学生の1人としてアメリカへ赴き、11年間を過ごし、最後に現地の看護学校で学んでいます。つまり、日本で最初の看護師は大山捨松なのです。帰国後、捨松は鹿鳴館でバザーを開いて多額の寄付金を集め、これをもとに日本初の看護学校が設立されました。
 また、キリスト教婦人矯風会の会長として知られている矢嶋は、和や雅が学んだ桜井女学校(現在の女子学院)附属看護婦養成所の校長を務めていました。酒乱の夫に苦しめられた楫子の過去を知ると、彼女が看護婦の職業化に意欲を注いだ理由がわかります。
 そして、芋づる式に出会った人物の中でも、特に私が惹かれたのが、「広瀬梅」です。梅のことは、本書執筆のための史料を渉猟しているときに初めて知りました。和や雅とともに看護婦養成所で学んだ梅は、2人に勝るとも劣らない波乱万丈な人生を送ります。長らく歴史に埋もれていた梅のことを私は、「令和に甦った岡山の偉人」と呼んでいます。2026年12月には、本書を原案に、梅を主人公としたミュージカル「拝啓ナイチンゲール様」が岡山、東京、水戸で上演されます。
 本書には、大関和と関わりのあった著名な男性たちも多数登場します。日本初のクリームパンを発売し「新宿中村屋」を創業した相馬愛蔵、牧師の植村正久、社会運動家の木下尚江、政治家の後藤象二郎、後藤新平などなど。いずれも、少なからず大関和の影響を受けています。
 なお、本書の3年前に刊行した『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』は、明治の初期、まだ女性が医師になることができなかった時代に、医師を目指した女性たちの群像劇となっています。
 あらためて、歴史とは人と人とが出会い、織りなすものだと感じます。読者の皆様にもぜひ、彼女たちの痛快な生き方をとおし、明治というそう遠くない時代の息吹を感じていただきたいです。(たなか・ひかる=歴史社会学者)

 文春文庫

辻村 深月著
『噓つきジェンガ』
304頁・825円
文春文庫

私たちのことかもしれない
平凡な主人公が関与してしまった詐欺事件の顚末
水原 涼

 人生というのはやり直しがきかないくせに、挫折の機会だけはたっぷりと準備されている。百パーセント思っていたとおりの人生を歩んでいる人なんて、たぶんそう多くないだろう。失敗と妥協と諦念と、ときどきの成功との繰り返しが現在を形作っている。こんなはずじゃなかった、というほどの強い悔恨ではなくとも、あのときああしていなければ、あっちを選んでいれば、と想像することは誰にでもある。せめて今後の選択だけでも、人生を良くする分岐を選びたい。
 詐欺というのは、そういうちょっとした不安や期待を絡め取る。代表作の一つである『鍵のない夢を見る』で著者は、どこにでもいそうな市井の人が、ひょんなことから否応なく犯罪に巻き込まれるさまを描いていた。その姉妹篇と位置づけられる本書でも、平凡な主人公が関与してしまった詐欺事件の顚末を描いた三篇が収録されている。
 二〇二〇年の春、大学進学のためひとり上京した青年。出来の良い長男とは違い、勉強の苦手な次男のお受験に悩んだ過去を持つ専業主婦。脚本家の夢に挫折して、人気漫画の原作者に強い憧れを持つ女性。彼らの境遇は、もしかしたら自分の人生も、違う分岐を選んでいればこうなっていたかもしれない、と思わせるほどのリアリティをもって描かれる。そんな主人公たちの、そのときどきは適切だと信じていた選択が、彼らを事件に引きずり込んでいく。
 新型コロナの非常事態宣言、子供の人生を左右する中学受験、夢を失って引きこもった子供部屋、彼らの目に見える世界はそれぞれの事情で閉ざされている。それぞれの焦燥感は、まったく違う人生を送っているにもかかわらず、私も身に覚えのあるものだった。それは彼らの価値観や言動が、現実を生きる私たちとそう遠くないもののように感じられるからだ。思えば、雪の日に学校に閉じ込められた高校生たちを描いたデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』からずっと、ときにファンタジックな設定であったり、読者の多くとかけ離れた境遇であったりしながらも、辻村の登場人物たちは、現実に街ですれ違ったことがある気がするような身近さを持っていた。
 本書はもちろんフィクションだし、登場人物たちは私とはまったく違う人間だ。念入りな筋書きのおかげで、彼らがどこで道を踏み外してしまったかも指摘できる。だから私はこんなふうに騙したり騙されたりすることはない、そう思いながら読んでいた。しかし本書を閉じて、その内容についての文章を書きながらふと思う。もしかしたら私は、私の家族や親友は、今まさにこの本で描かれていたような詐欺に巻き込まれる過程にいるのではないか? 注文してまだ届かない通販は、親が知り合ったという新しい友人は、子供が塾でもらってきたチラシは、その入口かもしれない。日々の生活に現れた新しいことごとが、不意にそれまでとは違うものとして存在感を増す。そうやって世界を見る目を変えてしまうことが、本書の持つ力を表している。(みずはら・りょう=作家)

 河出文庫

俵 万智著
『サラダ記念日』
208頁・693円
河出文庫

時代? それとも世代?
新しい装幀と新しい解説で歌集ぞくぞく刊行
俵 万智

 昨年、十代二十代の人に『サラダ記念日』を読んでもらう機会があった。一九八七年出版、四十年近く前の歌集で、スマホは出てこない。ハンズやカンチューハイは今も残っているけれど、バブル景気は跡形もない。時代の隔たりは、読者と歌集との関係に、どう影響するだろうか。期待よりも不安が大きかった。けれどフタを開けてみると、拍子抜けするほど「伝わっている」というのが実感だった。自分が忘れていた恋のもどかしさや切なさ、初めての一人暮らしの感覚などに、特に多くの共感が集まった。
 「時代じゃなくて、世代なんだ」と感じた。彼らにとって、これは二十代の歌集なのである。だからたとえば『プーさんの鼻』(四十代・子育てメイン)よりも身近な一冊のようだった。そして時代という意味では、むしろ「短歌」のハードルはずいぶん低くなったのだなとも感じた。
 この春から河出文庫で、かつて文庫になった歌集を、新しい装幀と新しい解説付きで、順次刊行してもらっている。手に取りやすいサイズと価格は、まことにありがたい。四月に『サラダ記念日』、六月は『かぜのてのひら』、そして七月『チョコレート革命』九月『プーさんの鼻』と続く予定だ。
 新旧解説の読み比べが面白い。そこには、世代よりも時代を感じる。『サラダ記念日』出版の二年後に書かれた川村二郎さんの解説は、ベストセラーを扱う難しさを冒頭に述べている。そのうえで軽やかさや若さを、祭りの縁日を歩く楽しさになぞらえながら温かく評してくれた。いっぽう、新解説は一九八九年生まれの大森静佳さんだ。彼女はまず「(作者は)ほかの誰ともちがう特別な〈自分〉、という考え方をあまり信じていない」と見抜く。これは吉本隆明さんにも指摘されたことで、今に至っても変わらない自分の本質だと思う。大森さんは歌人らしく、歌の修辞やリズムを丹念に洞察する。それらを踏まえたうえで、音韻のなめらかさと〈いま〉への肯定感を結びつけているのは、消費社会の明るい空虚さではないかと言う。「時代・作者・定型感覚の圧倒的な三位一体」とは、時代の中に歌集を置くことでこそ見える風景だろう。
 『かぜのてのひら』の最初の解説は現代詩作家の荒川洋治さん。新解説は、歌人・作家のくどうれいんさんだ。荒川さんの解説を要約すると「ほんっとうに普通のことを、普通に言ってくれて嬉しい」ということになる。当時の現代詩からの見え方だろう。一方くどうさんは、ベストセラーの嵐のあとで「生活者俵万智」を確かめる軌跡として第二歌集を読みとく。写実的な歌が多い理由とその良さを発見してもらった。なるほど自分は「ふだん着」を探していたのだなと思う。『チョコレート革命』の小佐野彈さん、『プーさんの鼻』の山崎ナオコーラさんも、それぞれ新しい時代感覚で、鮮やかな新解説を書いてくれた。乞う乞うご期待である。(たわら・まち=歌人)

祥伝社文庫

麻宮 好著
『筆耕屋だんまり堂 心の色を文字にします』
264頁・836円
祥伝社文庫

言葉は祈りにも呪いにもなる
文字を通じて人とつながる物語
麻宮 好

 ——墨の話を書きたいんです。
 こんな私の漠然とした思いを、祥伝社の担当編集者さんは掬い取ってくださいました。
 なぜ墨の話を書きたいと思ったのか。墨そのものは消えてしまうけれど、記された文字は残ります。儚さと強さの両面を表現できたら、と考えたのです。
 そこから話が広がり、主人公は口の利けない筆耕師の水沢数馬。タイトルは『筆耕屋だんまり堂』となりました。
 ただ、最初の発想を捨てるのはもったいない。そこで、数馬の仕事道具に命を吹き込むことにしました。古墨の「スミばあ」、硯の「お海」、文鎮の「龍翁」です。
 心理学的には「イマジナリーフレンド」というのでしょうか。子どもがぬいぐるみに名をつけるように、大人も大事に使っているものを擬人化することがあります。昔の話になりますが、私の友人は初めて食器洗い機を買ったとき、「洗いちゃん」と名づけていました。家事の負担が軽減した嬉しさがそんなネーミングになったのでしょう。
 本作の「スミばあ」たちも、口の利けない数馬の心象風景を映すものとして描かれています。
 そんな物語の舞台は江戸の深川。主人公の数馬は上州のとある藩の奥右筆の家に生まれました。兄の駿馬が拝領屋敷を火事にして水沢家はお取り潰し、次男の数馬は兄夫婦の娘、春佳を連れて江戸へ出て、代書で生計を立てています。お喋りで賢い姪の春佳は、数馬の大事な相棒です。
 ただ、これだけでは面白みが足りないかも。そこで、私は数馬から声を奪う代わりに、別の力を与えました。それは、文字に触れると、それを書いた人の心が読めるというものです。
 口の利けない数馬は話し言葉では人とつながれない。でも、書き言葉を通してたくさんの人とつながっていくのです。
 例えば、第二話に登場する早飛脚の平吉は、近所の子どものために代書を数馬に頼みます。実は、平吉は心に大きな傷を負っていました。その傷を癒すために数馬は真心をこめて言葉を紡ぎます。そのことを平吉は知りません。けれど、数馬の真心は言葉を通して伝わります。不器用な早飛脚は真摯な言葉で救われるのです。
 では、現代を生きる私たちは、言葉で人とつながれているでしょうか。雑な言葉や尖った言葉で、人を無意識に傷つけてはいないでしょうか。つながるどころか、言葉で人との関わりを断ち切っていないでしょうか。
 耳を塞ぎたくなるような、目を覆いたくなるような、そんな言葉が世の中には溢れているような気がしてなりません。
 言葉は祈りにも呪いにもなる。願いと自戒をこめて、日々物語を綴っています。
 ありがたくも二巻、三巻、と連続刊行をさせていただき、ただいま四巻の執筆中です。書いている本人も、この先どうなるのだろう、とわくわくどきどきしております。
 これもひとえに読者の皆様のお蔭です。心より感謝申し上げます。
 この物語を通して読者の皆様とつながれたら、こんなに嬉しいことはありません。(あさみや・こう=作家)

東京創元社の文庫

前川 ほまれ著
『藍色時刻の君たちは』
540頁・1100円
創元文芸文庫

ヤングケアラーと東日本大震災
子どもが子どもらしく生きられる社会を願う
前川 ほまれ

 文庫化に伴う改稿で久しぶりに本書を読み返すと、執筆中に抱いていた感覚が徐々に蘇った。当時は主要登場人物たちとの距離感を、著者として強く意識していた記憶がある。時には近くで寄り添い、時には遠くから見守り、彼らの内面が揺れ動く様を見逃さないよう四苦八苦した。そしてもう一つ、思い出す。執筆中は何度も、津波に呑み込まれる故郷が脳裏に浮かんでいたことを。
 本書『藍色時刻の君たちは』の主題は、ヤングケアラーと東日本大震災。執筆の切っ掛けは、職場で或るヤングケアラーと関わったことが大きく影響している(私は現在も看護師として働きながら、作家を続けている)。ヤングケアラーと一括りに言っても、当事者たちが抱く感情は十人十色だ。彼らが家族に向けるどんな本心も、まずは否定せずに受け止める。そんな決意を胸に、筆を進めた。
 もう一つの主題である東日本大震災を描いたのは、私の出身地が宮城県だからだ。私の故郷の風景は、二〇一一年三月十一日を境に一変した。当時の私は上京していて、テレビ画面越しに黒い波が地元を襲う光景を呆然と眺めることしかできなかった。あの時の無力感や、悲しみや、絶望は、生涯忘れることができないだろう。だからこそ作家として、もう一度東日本大震災に向き合ってみたい。執筆当初は希望を描きたいというより、何か自分の中で一つ線を引きたい気持ちが強かった。最終的には主要登場人たちの祈りや意志に導かれ、著者としても微かな光に触れることができていた。
 本書は、二部構成になっている。第一部の舞台は宮城県。三人の主要登場人物たちは高校二年生で、それぞれ家族のサポートをしている姿を描いた。統合失調症を患う母親のサポートをしている子、双極性障害の祖母の介護をしている子、アルコール依存症の母親と生活しながら幼い弟の世話をしている子。家族に向ける想いは、三者三様である。そんな張り詰めた生活を送る三人の前に、青葉という女性が現れる。
 第二部の舞台は東京。大人に成長した彼らと一緒に、読者には是非ともこの物語の結末を見届けて頂きたい。文庫版にはボーナストラックとして、作中の物語を補完するショートストーリーを、書き下ろしを含め二篇収録した。また本書は、幸運が舞い込み、第十四回山田風太郎賞を受賞させて頂いた。授賞式で憧れだった先生方から頂戴したお言葉は、今でも宝物として胸の中で輝いている。そういう意味でも、私にとって大切な一冊だ。
 ヤングケアラーは、あなたの近くにも確実に存在している。『藍色時刻の君たちは』が少しでも、周囲にいる子どもたちを見つめ直す切っ掛けになってくれたら嬉しい。そして、子どもが子どもらしく生きられる社会を今も願う。
 最後に、東日本大震災で亡くなられた方々に追悼の意を込めて。(まえかわ・ほまれ=作家)