隣の洋館に住む教授を訪ねる。教授の生活はとても不規則で、就寝時間や食事時間などは全く決まっていない。ねむりたいときに寝て、思い出したら食事をとる。わたしが、いや、わたしたちが目を光らせない限り、そういう生活をしている。
ギンゴーン!
チャイムを鳴らしても返事がない。わたしたちは勝手に上り込むことにした―
右記の内容は、私が本書で登場人物の一人である亜衣の視点を通し体験したものだ。これともう一つ、私は本書を読み体験したことがある。読者と本、はっきりとした線引きをした上で本の内容全体を俯瞰的に吟味することだ。本書では、この両方の体験が可能である。我々は読者としての視線を損なうことなく、登場人物の一人として物語に入り込む。
さあ、部屋のソファーで横にゴロンと丸まっている男こそ、教授こと名探偵の夢水清志郎である。元は大学の論理学教授だったようなので、教授と呼んでいる。なぜだか今日は、針金のように細い体が心なしかぐにゃぐにゃしており、具合が悪そうだ。
「わかった!ここ何日かご飯を食べ忘れてたからだ!」
呆れて言葉も出ない。この男は意地汚いにも関わらず、自分が食事したかどうかすら忘れてしまうのだ。それだけでなく、自分の年齢やこれまでに解決した事件も思い出せないものわすれの名人だ。せめて仕事を、毎日絶え間なく起きている事件たちを解決してはくれないだろうか。
「たしかに事件は起こってるよ。バカな警察にまかせておけばいいような、芸術性のかけらもない、低俗な犯罪はね。ぼくが求めてる犯罪はね、芸術とロマンの香りがする、知的な犯罪なんだ」
そう言って教授は毎日を自堕落に過ごす。本当に彼は名探偵なのか? 到底信じられないかもしれないが、答えはイエスだ。本人が心の底から自分は名探偵だと信じている。そして彼だけではなく、わたしたちも、夢水清志郎は名探偵だと信じている。
きっかけは教授の謎解きを聞いた時だった。亜衣は謎解きを聞いて納得した。私はハッと思い出しページを遡る。そこには、教授が謎を解く手がかりにした情景の記述があった。私は謎解きに納得すると同時に、「確かにあのあたりに書いてあった」と、自分が一読者であることを思い出したのだった。これが本の内容全体を俯瞰的に吟味すると冒頭で述べたことだ。情景を想起させるための要素だった文章が途端に謎を解くための手がかりとして異色を放つ。謎を解く決定打をズバリ引き当てるこの体験は、さながら国語の問題を解いているような感覚である。所謂国語の勉強が苦手な人へ、読解力を鍛える最初の本としても勧められる。
「ぼくは名探偵です。犯人をつかまえるだけの警察とはちがいます。きっと、みんながいちばん幸せになれるように、事件を解決しますよ」
このみんなという言葉には登場人物だけでなく、本の向こうにいる私たち読者をも内包しているのではないだろうか。
今度の事件では、五人の子どもを人々の前から消してしまった怪人『伯爵』に挑戦する。警察では消えたトリックも解明できず、予告された犯行にも手出しできないほどの強敵だが、不思議と不安はない。きっと今回も教授は鮮やかに事件を解決するだろう。「探偵が謎解きをする場合、つぎのことばではじめなければならない」と教授が信じている名探偵の鉄則に従い、事件の謎を紐解くに違いない。
「さて―」
★もり・つきみ=早稲田大学人間科学部4年芸術・表象文化論ゼミ所属。
創作サークルGIFT、演劇集団ところでに所属。この世の全ては絵から始まるのではないかと考え、描くことに興味を持っている。