【ジョーカー・ゲーム/柳広司】評者:青山朋香  ( 共立女子大学国際学部4年)

本の街、神保町。そんな最高の立地にある大学に通う私は、いつからかこの街の大ファンになっていた。授業の空き時間で神保町を散策する贅沢を味わいながら、ふと目に入るのは、スクラッチタイルが印象的な老ビル「旧相互無尽会社ビルディング」。神保町好きの間でこう呼ばれるこのビルは、昭和五年に竣工し、現在は「神保町ビル別館」となってその存在を留めている。90年もの間、神保町を見守り続けたこのビルが取り壊される。突如貼られた解体工事のお知らせに、何とも言えない寂しさと、一冊の本が思い浮かんだ。それが、「ジョーカー・ゲーム」だ。

 本書は、実写映画、アニメ、舞台と幅広く展開し、人気を博すスパイ・ミステリ作品である。時は第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間、世界情勢がくすぶる中の帝国日本。情報勤務要員養成所、つまり〝スパイ養成学校〟が舞台である。

 本作では〝スパイ養成学校〟で訓練を受ける、通称〝D機関〟の学生が、恐ろしいほどの自負心と共に任務を遂行していく様が描かれる。

 任務は5つ、神田、横浜、ロンドン、上海など、国内外問わず遂行される。詳細な時代背景や現場状況が描かれることで、読者はまるで自分がD機関の学生となったような感覚に陥る。時に憲兵を偽り、時に領事とチェスを指す。またある時は、スパイ・マスターと対峙し、偶然を装った罠にはまる。D機関員の息遣いが今にも聞こえてきそうだ。まさにミステリ小説の醍醐味であるだろう。
 しかし本作は〝スパイ・ミステリ〟。読者はその世界に没頭すると同時に、はて、D機関員はどこにいるのか、という錯覚を起こすこともある。

「スパイとは、見えない存在だ。それが結城中佐の口癖だった」

 文字通り、D機関員は時に読者の前からも姿を消す。これが本作最大の魅力であると私は考える。

「官姓名、さらには尋ねられればすらすらと口をついて出てくる経歴もまた、実際にはここに来た時に与えられた偽装の一つであった」

 自らを見えない存在とし、他人を装う彼らを、私たちはどこまで信じてよいのだろうか。読者にはD機関員の情報を与えられることはない。いや、むしろD機関創設者の結城中佐以外に、彼らの真の姿を知る者など存在しないのだ。読者までを偽り、遂行される任務、そして結城中佐の過去とD機関の内情とは……。

 本作は、「ダブル・ジョーカー」「パラダイス・ロスト」「ラスト・ワルツ」と続く、シリーズである。

 時代こそ違えど、作中には実在する地名や実在した人々が多く登場する。近現代史が好きな読者であれば、その虚実により想像が大いに搔き立てられるだろう。前述で紹介した、「旧相互無尽会社ビルディング」もそのひとつで、『ジョーカー・ゲーム』ファンの間で聖地巡礼地となっている。あくまで〝似ている〟に過ぎないのだが、読者はそのビルに機関員の面影を見ることができるのだ。

「ジョーカー・ゲーム」は本の中では終わらない。見えない存在を追って、その微かな面影を探しに行きたくなる、そんな一冊だ。

この記事を書いた人

★あおやま・ともか=共立女子大学国際学部4年。大学では日本舞踊研究会に所属。日本の近現代史に大変興味を持っており、自作の旅のしおりと共に日本各地を旅しています。

この本を読んでみる

コメントを残す