【権利のための闘争/イェーリング】評者:髙橋綺那(高崎商科大学商学部経営学科2年生)

 本書の著者は、19世紀後半のドイツの法学者である。ハイデルベルク、ゲッティンゲン、ベルリンの各大学に学び、教授職を歴任し、生涯を通してローマ法の精神を研究テーマにしたといわれる。本書は、権利を持ち続けるためには常にそのための闘争が重要であるとの主張を、著者自らが解説したものである。

 章立ては六章にわたる。まず初めに、法とはすべての国民の日々の努力によって闘い取られたものであり、否定されたら奪うものである。つまり権利の侵害があれば、当事者は係争物よりも、自身の権利の回復を第一に考えて行動するべきと説明する。序盤には、利益と損失とを均衡にするだけの単純な計算問題ではないのだ、との著者の言葉がある。権利のための闘争は権利者の自分自身に対する義務である、という命題に加え、中盤は、権利の主張は社会に対する義務である、という二つ目の命題を、義務と権利について、より明確に示しつつ丁寧に説明するところが読みどころだ。さらに終盤になると雰囲気が変わる。ここでは、権利侵害、つまり人間としての尊厳が踏みにじられたと感じた時に、明らかになる心理的な源泉を「法感情」と呼び、それに対する行動の重要さが説明されている。そして、新たにもう一つの問題として、著者の生きる現在と昔のローマ法を比較しながら、論理が展開されていく。

 本書では、彼自身が研究対象としたローマ法を、度々彼自身の論理を説明する例として使う。ローマ法にある制度の存在そのものを根拠としたり、背景にある思想と現在の法制度を比較したりするのである。そこにこそ彼の、研究に対する興味が顕著になっている。また、その部分では感情も強く表れるため、初めは読者の理解を難しくする、が読み進めると彼の人間味が感じられ、面白い部分でもある。

 本書には、働かざる者食うべからず、と似たことが書かれている。自己の権利を維持するためには奪おうとする人と争わなければならない。仮にその時点で守れていたとしても、努力を怠れば次の闘争では奪われてしまう。努力をしなければ権利は守れない。多くの人が一度は経験、実感したことがあるはずだ。著者の訴える姿勢こそ、人間らしく、誇りをもって生きるためには重要なものだと気づかされた。

 本書は、国民の法感情を育てることについて言及している。しかし、わが国では、若者の投票率に表れているように、政治ないし法に対する国民の意識は低いままである。権利のために闘うことの重要さが浸透していないのだ。本書で書かれている、国民の法感情と国家の利益は実際的な面では相反しないとは、法感情が強くなった場合は、現状に合わない規定の廃棄・制度の完成等を進めることになり、逆に国家が強くなった場合は、悪法によって行動の自由を妨げることになる、という意味に捉えられる。だが、国家が崩れるまで待つというマイナスな意味にも捉えられるため受け入れにくく、理想論のままで終わっている可能性が否めない。

 高校生の頃に一般教養として法に触れた時は、私自身も権利が当たり前に与えられている状態に慣れてしまっていたことに気づかされた。本書からは、権利や人格を脅かされた時は自らの権利を獲得するために闘い、常に努力した上にその権利は守られることを学んだ。そんな思い入れのある「権利の闘争」という言葉を目にして、思わず手に取った本書は、これからの社会を担う若者だけでなく、多くの人に読んでほしい本である。(小林孝輔・広沢民生訳)

この記事を書いた人

★たかはし・あやな=高崎商科大学商学部経営学科2年生。

モノづくりが好き。新たな作品をつくろうと思っている。コミュニケーション力や協同力を鍛えるためサークルに加入している。

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