【線は、僕を描く/砥上裕將】評者:池田紗良(大阪国際大学人間科学部4)

 墨と水のみで描く線。線と墨の濃淡だけで、自分の内側と外の現象をどう結びつけ、表現するのか。これは自分の心の内側と向き合い、生きる意味を見いだしていく作品である。
 両親を事故で亡くし、心の内側に感情を閉じ込め、真っ白な状態から抜け出すことができずにいた大学生の青山霜介は、一方的に絡まれるうちにいつしか「親友」となった古前から、巨大な展示場でのアルバイトに駆り出される。話とは違うキツイ肉体労働だったが、霜介はその会場内で小柄な老人と知り合う。なぜか高級な弁当をごちそうになり、何百もの水墨画が掛けられた会場を、二人で鑑賞してまわることになる。水墨画に触れたことなどなかった霜介だが、どういうわけか老人に気に入られ、その場で内弟子にすると言われるのだ。実はこの小柄な老人は、日本を代表する水墨画の巨匠・篠田湖山であった。湖山が弟子をとることは稀であり、孫で絵師を志す千瑛は反発したが、あれよという間に話は進み、勢いで来年の湖山賞をかけて千瑛と対決すること、内弟子になることが決まってしまった。なぜ湖山は霜介に声をかけたのか。思いがけぬ話ではあるが、霜介の心が動いたのは珍しいことだった。
 後日、霜介は湖山のアトリエ兼自宅に呼ばれ、湖山から直接教えを受けることになる。筆の持ち方、墨のすり方など、描くための用具の扱い方といった初歩から、水墨画の道を歩み始める。そうした何でもないようなところにも、水墨画を描くのに重要な教えがあるのだ。霜介は水墨画を通して閉ざしていた自身の内側を見つめ、同時に千瑛や同門の先輩、大学の友人らなど多くの人々とふれあう中で、外の世界に一度は失った繫がりを生んでいく。
 水墨画で描かれるものは、花や風景といった自然であり、森羅万象に宿る生命が表現される。技術の高さだけが大切なのではなく、生きている瞬間を描き出すことこそが水墨画の本質だという。普段なじみのないテーマの作品で、固いイメージかと思ったが、霜介が一から学んでいく姿勢とその絵が見えてくるような文章に、水墨画に興味がわいたし、想像以上に奥深いものだと知った。
 何より、湖山先生の教えには響くものが多かった。水墨画を描く前に霜介がひるんでしまったときにかけた「できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ」という言葉。何かに挑戦するときについ、できるのかと考えて、不安を感じ躊躇してしまうことがある。しかし、挑戦してみないとできるかどうかわからない。挑戦してみることが重要で、もし失敗したとしても続けていくこと、挑戦と失敗のなかに楽しさを生んでいけるかどうかが、自分自身の成長や前へ進む力になるのだと改めて気づかせてくれた。
真っ白な状態だった霜介は、描くことで自分の居場所を見つけただけでなく、自分という輪郭もなぞられていった。まさに、一本の線が自分を描いていったのだ。
この物語の最後で霜介は「僕は確かに自分の心を描けた」でも千瑛の技術は「千瑛さんの美しい生き方そのものだ」と言う。これからも霜介の線の続きが見たいし、自分だけの線を描けるようになりたいと勇気をあたえてくれる作品であった。

この記事を書いた人

★いけだ・さら=大阪国際大学人間科学部4年。映画『線は、僕を描く』と続編『一線の湖』もぜひ。最近読みたい本が多くて時間が足りません。

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