【海の見える理髪店/荻原浩】評者:逸見万葉 (四国学院大学社会福祉学研究科社会福祉学専攻2年)

 過去はどんなにやり直したくても修正不可能で変えることができない。でも未来ならば自分の想いと行動で変えることができる。

 本書を読み終えたとき胸にこみ上げてきたじんわりとあたたかな感動の内実は、このような言葉に集約できると思う。至極当然で、だからこそ実行することが難しい人生における教示を、本書に登場する六組の家族からいただいた。

 荻原浩氏による、「家族」をテーマにした全六作の連作短編集。本書の中でも特に好きな作品は「空は今日もスカイ」だ。その理由は冒頭に述べた教示を本書の中で唯一、小学校三年生の佐藤茜という子どもから与えられたからである。児童文学に関心のある筆者は「大人が子どもから教えられること」の意味の大きさ、深さを理解しているつもりだったが、それが思い上がりだったことに気付かされた。端的に言えば、良い意味で茜に裏切られたのだ。

 両親が離婚し、母とともに親戚の家に身を寄せることになった茜は、居場所がないと感じており、〈毎日のどうでもいいものが、別のものに見えてくる〉英語の勉強に魅せられていた。ある日、茜は海の家を目指す「冒険」と称した「家出」(茜は英語でホーム・ゴーと呼んでいた)を決行する。茜にとって冒険中に出会った、親から虐待を受けている〈フォレスト〉や、福祉の世話になるような大人である〈ビッグマン〉はおそらく、この「ビレッジ」に越してきて初めての信頼できる他者であっただろう。そんな二人を助けるために茜は立ち上がろうとするのだった。

 茜の冒険を通して「喪失感―発見―獲得」という人間の成長プロセスが浮かび上がってくると考える。家に居場所がないと「喪失感」を抱いていた茜が、冒険に出るという行動を起こしたことで、信頼できる他者を「発見」し、この現実世界に新たな希望を「獲得」したのである。茜が魅せられていた英語の勉強は、言ってみれば現実逃避をするための手段だったのではないか。現実に新たな希望を獲得した茜にとって、現実逃避する必要はもうない。今後の茜は英語を「ただの勉強、されど勉強」として純粋に楽しむことができるのではないだろうか。

 作者は茜に、英語が好きな性質を付与することで、茜の抱く「喪失感」をより強調しようとしたのかもしれない。それによって、茜の冒険を通した成長プロセスが明示されると感じる。子どもの純粋な好奇心に孕まれる無限の可能性を鮮明に描く作者は、解説の斎藤美奈子が述べているように「未来を信じている」のだと思う。その意味において本作の語り手を本書の中で唯一、茜という子どもに設定していることに納得できるのである。

 他者のために行動しようと決心した茜の未来は、きっと明るいと筆者も作者に同意したい。いや、明るいと断言したい。強く。

この記事を書いた人

★へんみ・まよ=四国学院大学社会福祉学研究科社会福祉学専攻2年。障害者福祉と児童文学に関心を持っています。言葉を使って対等にすべての人とかかわる方法を模索しています。

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