【マウス/村田沙耶香】 評者:米山あさみ(二松學舍大学文学部国文学科二年)

あなたは周りの目を気にし、普通の子として見られるように生きているか。それとも周りの目を気にせず、自分の世界で生きているか。
 
この物語は前者のタイプである律と、後者のタイプの瀬里奈を中心に話が進む。いつも泣いてばかりで、クラスの異物として扱われる瀬里奈。大人しく、協調することで面倒なことから避ける律は、自分のことを「臆病な女の子」という意味で「マウス」だと考えている。
 
そんな律はなぜか瀬里奈のことが気になり、瀬里奈がいつものように泣き出し教室を出て行った時、こっそり後をつけた。そこで瀬里奈が一人で女子トイレの用具入れの中の排水用のシンクに腰掛け目を閉じ、自分の内にある「灰色の部屋」に閉じこもっていることを知る。律は「灰色の部屋」と比べものにならない華やかな世界があることを教えようと、図書室で借りた『くるみ割り人形』を大きな声で朗読した。すると瀬里奈の表情が打って変わり、その本の主人公である女王・マリーのようになってしまう。それから瀬里奈は全く泣かなくなり、クラスに溶け込み、華やかな女の子たちから一目置かれるようになる。しかし律とは世界が違ってしまい、律は瀬里奈の元から離れた。 
 
場面は変わり、小学五年生の自分を引きずったままの大学生の律。同著者の作品、『コンビニ人間』をどこか彷彿させるようなファミレスでのバイト。ここでは律の真面目さが求められ、仕事にやりがいを感じ、「マウス」でない自分を見つける。一方で、仕事や役割を離れた人付き合いは相変わらず。しかし瀬里奈との再会により少しずつ変化する。二人は些細なことを機に言い争い、本音をぶつけ合うことで弱点を知り、互いに自分とは何かを見つめ直す。それは英語の辞書の「mouse」の項目に、「かわいい子、魅力ある女の子」と書き足したいと思えるようになった、律の気持ちの変化からもわかる。
 
『マウス』には「学校の中の価値観は、発言権のある子によって支配されているんだなあ」という律の思いが書かれているが、学校や職場などでリーダー的な存在の人に合わせて、思ってもいない発言をせざるを得ない状況は、誰にでも経験があるのではないだろうか。社会的基準から考えれば、学校のクラスという小さな枠組みの中で作られた価値観ではあるが、視野も世界も狭い十代にとっては非常に大きなものである。そして二つの作品に共通するのは、学校の中で「自分の価値観」のみに正直に生きることは難しいということだ。「自分の価値観」を外に出すことによって、自分勝手とか空気が読めないなどと言われ損をする為、学校内の価値観に捉われて「自分の価値観」を殺しながら生きようとする主人公たち。瀬里奈にしても、周囲からは自分勝手だと思われがちだが、実際は「自分の価値観」だけで生きてきたとは言い難い。『くるみ割り人形』を繰り返し読み、自分がこうなりたいというマリーの存在を確かめていないと、在りたい自分が分からない瀬里奈なのだから。
 
性格も趣味も似ていないのに仲が良いという友人は二人に限らずよくあるだろう。律と瀬里奈もタイプこそ違うが、互いに劣等感や弱さ、また価値観の違いを認め、成長する関係性の素晴らしさが『マウス』には描かれている。

この記事を書いた人

★よねやま・あさみ=二松學舍大学文学部国文学科2年。趣味はかぼちゃスイーツのお店探しと読書。現代文学をよく読み、好きな作家は瀬尾まいこと川上弘美。

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