【歌は分断を越えて/坪井兵輔】 評者:遠藤隆恭(阪南大学四年)

その思いを胸に、金桂仙(キムケソン)(70)さんは歌う。歴史上、時に歌は国家に利用され、分断を煽る道具としても使われた。国境や時代を超えて人々を繋げる歌の力が、扱い方によっては、自国の正当性を誇示し、他国に優越するとの主張に変わることがある。他者の存在を否定する戦争にも国歌が使われた。そのとき歌は、人々を裂く刃と化した。歌は一体、何のためにあるのか。
 
現在、多くの在日コリアンが日本で暮らしている。そのルーツは朝鮮半島にあり、例えば朝鮮戦争で同じ民族が分断され、故郷を奪われた人々が日本に渡った。
 
本書は国籍の狭間で葛藤する在日女性が祖国統一への願いを歌に込める歩みを追った。
 
在日コリアン二世の金桂仙さんは、プロのソプラノ歌手である。幼いころに歌に魅了され、半生を歌うことに捧げてきた。高校卒業後に、朝鮮民族の歌曲を受け継ぐ歌舞団に入団。金さんは「歌に国境はない、日本に憎しみの矛先を向けることもない。歌には力がある。統一への願いを込めるだけ」と歌手活動に没頭した。1971年、金さんの歌が評価され、大きなチャンスが訪れた。東ドイツの首都・東ベルリンで開催される文化大会に代表として選抜されたのだ。しかし在日朝鮮人の渡航には高い壁がそびえていた。日本に生まれ、日本以外で暮らしたことがなくとも外国人として扱われる。当時、国籍を外国に持つ人の渡航には厳しい規制が設けられていた。結局、大会への参加は断念に追い込まれた。次に平壌訪問団に選ばれたときも、またも夢は叶わなかった。その後、幾度となく国籍という壁に夢を阻まれた。
 
私は読み始める当初、在日コリアンのことを殆ど知らなかった。存在に気づいていたが、実際に彼、彼女らの声に耳を傾けたことがなかった。どのような生き方、如何なる歴史を持つのか、そして、何を願い求めるのか。揺れ動く日本と朝鮮半島の関係に翻弄され、生まれ育った第二の故郷である日本で向けられる、冷たい視線やヘイトスピーチ。
 
自分ではどうしようもない出自を理由に押し付けられる謂われなき差別、癒えることのない傷。本書は分断という現実をリアルに見せる。そんな中、残酷な現実に屈することなく、力強く生きる金さんの生き様から歴史に苦しんだ人を癒やしたいという切実な思いを感じた。
 
1987年に韓国は民主化し、その二年後にはベルリンの壁が崩壊した。冷戦も終わり世界が変わりだす一方で、朝鮮半島は分断したままだった。北朝鮮は核兵器開発に乗り出し、多くの人民が餓死するニュースが日本でも伝えられた。国境を越えた難民もいる。深い分断が続いていた。「歌で統一を両親に届けたい」。桂仙さんの押し込めていた思いが蘇った。一度断念した歌。それを再び始める決心をした。
 
あるコンサート、金さんの歌う瞬間が訪れた。「こんにちは、大阪生まれのMADEINJAPAN。金桂仙です。歌で、〝故郷〟を届けたいと願っています」。彼女はステージに上がる時、毎回この挨拶をする。歌とは、その場を分かち合うためにある。そう信念を込めて。歌に国境はない。国籍や民族、生まれ持った歴史も関係ない。歌は国境を越え、人種の壁を越えて一つになる力を持っている。人々を繋ぐ大きな架け橋となるのかもしれない。
 
グローバル化する社会とは裏腹に、日本では外国にルーツを持つ人々に対する排外的な言論が跋扈し、分断を作っていく。在日の人々の声に耳を澄まし、その想いを知ろうとする営みこそが、分断を無くすささやかな、だが、ゆるぎない一歩になるのではなかろうか。

この記事を書いた人

★えんどう・たかゆき=阪南大学4年。現在関心を持っていることは、シミュラークルとシミュレーション。

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