本書を読み終え、無意識に「コンテクスト・オブ・ザ・デッド 感想」で検索しそうになった自分にハッとした。作中 で、見たばかりの映画を検索し、ネット上の感想を正しいと信じこむ人物がいた。そんなことをしても映画を見た意味 は全くないだろう、と私はその人物を馬鹿にしていた。なのに、読み終わった途端に全く同じことをしようとしていた のだ。
本書は複数の視点で書かれた群像劇だ。専業作家でありながら文壇の仕事がほとんどなく作家としては死んだも同然の K、生活保護受給者の不正利用を審査する区の職員新垣、過去の功績だけで生き続ける老作家への厚遇を止められない 編集者たち、投稿を続けるも全く芽が出ない作家志望の昌など、視点人物それぞれの生活が描かれている。どの人物も 生き生きとしているとは言い難い。彼らは生産性が無く社会的に死んだ存在であるか、またはそういった存在と関わっ て生きている。
ゾンビはそんな彼らが生きる社会に突如発生する。ゾンビに感染したら自分もゾンビになってしまうにも関わらず、特 に大きなパニックは起きず、誰もが日常をぼんやりと続けていく。しかも、意思を持たずに暴れるゾンビだけでなく、 自我を保ったまま人間と同じ生活を続けるものも現れたため、人々はゾンビが存在する新たな日常を受け入れかけてし まう。そして世界がゾンビで溢れてやっと、パニックになる。この緩やかな世界の傾き方に、もしゾンビが今の日本に 現れたらこんな展開になりそう、と思わせるリアリティがあった。
本書では自分の思うままに生きる人間らしいゾンビも、何も考えず他人の意見にふらふら従うゾンビみたいな人間もど ちらも登場する。そのため、こんな問いを持たずにはいられない。自我を持つゾンビと自分の意思がない人間、どちら の方が人間らしいと言えるのだろうか。そして、たとえゾンビに感染していなかったとしても、自分の意思を失ってし まえばゾンビと変わらないのではないか。
冒頭でも述べたように、私は誰かの感想をネット検索することが当たり前の癖になっていた。本に限らず、レストラン やコスメなどあらゆる口コミサイトがネット上に氾濫していることからも、この癖は私だけのものではないはずだ。し かし、この癖を続けていると他人の意見を自分の意見だと思い込み、自分で考えることをやめたゾンビになってしまう 。簡単に情報が手に入る現代社会では、誰もがこういったゾンビになりうるのだ。
本書のおかげで私はゾンビになりかけていたと気づくことが出来た。もしも本書を読んでいなければ、私は自覚のない まま完全なゾンビとなっていたのだろう。皆さんはゾンビにならない自信があると言い切れるだろうか。どうかこの本 を読んで、自分がどれだけゾンビに近づいているのか確認してみてほしい。
★うえだ・あやか=二松學舍大学文学部国文学科4年。最近は子供の頃に読んでいた児童文学を読み直すことにはま っている。「セブンスタワー」シリーズ、「クロニクル千古の闇」シリーズを読む予定。
※筆者の所属・学年は書評応募時。