【たやすみなさい/岡野大嗣】評者:中村怜奈(筑波大学情報学群知識情報・図書館学類1年)

 『たやすみなさい』は現代歌人の岡野大嗣による歌集である。いつか、どこかで、誰もが経験したことのある風景や記憶が繊細な言葉で表現され、私たちに忘れていた何かを思い出させてくれる。どこか懐かしく、けれども、もう戻ってはこないその日々に寂しさを感じずにはいられない。

 この本の魅力は岡野による新鮮な言葉選びのように感じる。たとえば、「あれは赤い観覧車ではなく観覧車が赤く呼吸をしているんだ」や「ひやごはんをおちゃわんにぼそっとよそうようにわたしをふとんによそう」といった短歌がある。観覧車の呼吸やふとんによそう、という表現は聞きなれないが、なぜか耳に心地いい。

 またこの本のタイトルである「たやすみなさい」は岡野による造語だが、どういう意味なのかと疑問に思うだろう。この本を読んだ人にだけ通じる秘密の合言葉のようで、私は大好きだ。視覚や音で楽しませてくれる岡野の作品は、私の中の短歌という概念を新しいものに塗り替えてくれた。

 「ドーナツの〇からのぞくドーナツの〇からぼくをのぞくきみの目」

 この短歌は漢字の丸ではなく、〇を使っており、視覚的な表現と繰り返しの表現でドーナツだけだった視点が、ぼく、きみへと視点がうつりその場面を描写している。

 同じように、同じ言葉を繰りかえす短歌がある。

 「ねむくなるとねむいにおいになる犬のねむいにおいをかぎながらねる」

 早口言葉のように、ねむいという単語が続くこの短歌は、声に出して読みたい一首だ。お互いがお互いで暖をとりながら眠りにつく、そんな温かい情景が浮かぶ。

 そして、「ゲオ」や「ミスド」といった固有名詞、通称を用い、具体性を持たせた短歌も、魅力の1つだと思う。具体性を帯びた短歌は、想像しやすく、自分の記憶とリンクしやすい。まるで、自分の記憶が表現され、自分の短歌のような、錯覚を覚える。 

 「バスってば窓ばっかりで明るさも暗さも真に受けるのがいいね」

 読者に語りかけているような会話調の短歌も多い。誰もが一度は乗ったり見たりしたことのある「バス」を用いたこの一首はこの短歌の情景だけでなく、バスに関する記憶も思い起こさせる。私も夜バスに乗ったとき、外は真っ暗で何も見えないが、バスの中は明るくて外からはバスの中が見えてしまう、そのどうしようもない不条理さを感じたことを思い出した。

 私がこの本に出会ったのは2年前、福岡にある「本のあるところ ajiro」だった。ただただ、三十一音の物語に、三十一音で切り取られた一瞬に、その世界に、何とも言えない懐かしさを感じた。将来の不安、自分の無力さに苦しんでいた受験期の自分に、あたたかい飲み物を飲んだ時のようなじんわりとしたあたたかさを身体の芯から与えてくれた。世紀の大発見をしたような胸の高鳴りと、この本を抱きしめたくなるような優しさと愛しさを今でも忘れられない。

 私がこの本を勧めたいのは、忘れていた一瞬を、感情をそっと掬い上げてくれる優しさがあるからだ。コロナ禍で、漠然とした不安や苦しさを感じている人は多いだろう。私も時々、鬱屈とした感情に陥ってしまう。そんなときに読んでみる。日常に少し新鮮さを与えてくれる岡野の歌集は、読むと世界が優しくなるし、世界に優しくなれるだろう。コロナ禍の世界も悪くない。

この記事を書いた人

★なかむら・れな=筑波大学情報学群知識情報・図書館学類1年。2年前から現代短歌に興味を持っている。好きな歌人は岡野大嗣と木下龍也。ポストカードを集めるのが好き。好きな絵本は、ショーン・タンの「ロスト・シング」。

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