【夏物語/川上未映子】評者:安保萌花(広島修道大学法学部2年)

 豊胸手術を検討する巻子と、思春期を迎え「女性のからだの変化」に思い悩む娘・緑子の、親子の互いへの感情を鮮烈に表現した三日間の物語『乳と卵』が、第一三八回芥川賞に選出されてから十一年。『乳と卵』の一部が改編され、話の焦点が姉・巻子から妹・夏子へと移ったのがこの『夏物語』である。

 初めて川上未映子さんの本を手に取ったのは、高校二年生の時だった。『乳と卵』というタイトルから何かセンシティブなものを感じた。中学生の時、好きではなかった保健の授業を思い出したからだろうか。あらすじを読んで共感するものを感じたので読んでみることにした。大阪弁の軽快さと煮え切らない感情の表現の渦に一気に引き込まれていった。

『夏物語』第二部では「自分の子どもに会ってみたい」と思い始めた夏子の、『乳と卵』の数年後を描く。パートナーがいない夏子はいろいろと調べていくうちに、精子提供という方法で子どもを産むことができることを知る。生命の意味とは、子どもを産むということはどういうことなのか、様々な境遇にある人々との出会いから夏子なりの答えを導き出そうとする。

 精子提供で生まれたため本当の父親を知らない逢沢潤、本当の父親だと思っていた父親から性的虐待を受け、心の傷を抱える善百合子、産んだ子供をどこか冷めた目で見ているバイト仲間の紺野さん……。生の明るい部分に目を向けてきた夏子は、闇の部分を知り自分の欲望に対する自責の念を募らせていく。中でも、善百合子と二人きりで話すシーンは衝撃的だった。夏子は善百合子の狂おしい生への憎悪に圧倒される。「もしあなたが子どもを生んでね、その子どもが、生まれてきたことを心の底から後悔したとしたら、あなたはいったいどうするつもりなの」「自分の子どもがぜったいに苦しまずにすむ唯一の方法っていうのは、その子を存在させないことなんじゃないの」「あなたたちは、何をしようとしているの?」

 論理的に重ねられていく百合子の話は終盤、疑問形の羅列になり、夏子に「生」について訴えてくる。夏子は彼女からの問いに心の深みを乱されながらも、カタルシスを得る。感情の開放による問いかけで物語が動き出すのは、第一部と第二部の共通点だ。第一部では緑子の、第二部では善百合子の、思いのたけが痛いほどに胸をつく。

 女性の痛みについて取り上げられた本作。第一部は個人が抱える悩みが主体だったが、第二部では社会的な関係に基づく問題にも切り込んでいた。結婚したら「子どもを産む機能付き労働力」として扱われて呆れたという友人の言葉や、裏の目的が透けて見える怪しげな精子提供者の登場が、社会における女性の扱われ方や地位の低さに疑問を呈す。性的同意、結婚、出産、育児など、女性の人生に関わる問題の自己決定権がいかに大切なものか、誰によっても侵害されるべきではないと説かれているようにも感じた。

 葛藤を乗り越えた夏子の人生は、新たな方向に進んでゆく。何が正しいと決まっていない人生の中で、自分は次に何を選ぶだろうか、と彼女たちに寄り添いながら、本書をもう一度読みたいと思う。

この記事を書いた人

★あぼ・もえか=広島修道大学法学部2年生。

高校放送部での経験を活かし中国新聞キャンパスレポーターとして活動している。中国の歴史ドラマに魅せられ、中国語検定「HSK」に挑戦中。

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