本書は、生きづらさを感じる人たちが、それでも必死に生きている物語だ。登場人物の男女3人は、それぞれの事情から自殺を考えている。主人公の杉崎友也はただ漠然と生きることに疲れていた。小林涼は治療困難な病を患っており、余命は一年もないと宣告を受けている。そのため身体が病気に蝕まれ、苦痛が酷くなる前に死んでしまった方がいいのではないかと考えている。春川あおいは、学校で虐められており教師に相談しても助けてくれず、親も自分に無関心であるので、生きていくのが辛いと言う。
3人は、閉鎖された元飛行場で夏に花火をすると現れる「サマーゴースト」の都市伝説を知る。半信半疑の中、友也たちは飛行場で花火をし「サマーゴースト」である佐藤絢音と接触することに成功するのだ。そして「死んだ後もスクールカーストってあるんですか?」「死んだことで、生きている時と何か変わりましたか?」などという質問を綾音に投げかける。自殺して幽霊になったとされている綾音ならば、その気持ちが分かるはずだと思ったからだ。
本書の著者・乙一の作品には何かしらの理由で、生きづらさを感じている人達が多く登場する。心情描写が生々しく、読んでいて辛くなる作品が多い。本書で友也は、母親に対して複雑な感情を抱いている。友也の母親は非常に厳しく成績に細かく口出しをし、友也の楽しみである絵を描くことを認めていない。そのような母親であれば友也は恨み、嫌っていてもおかしくはないが、友也はそれを愛情の裏返しだと理解している。ただ時折息が詰まりそうになると吐露している。相手が自分のためを思ってしてくれる行動が、かえって苦しくなるというのには、非常に共感することができる。
自殺したと思われていた綾音は、実は他殺であり、今もその死体は発見されておらずどこかに埋められていることが、二度目に会いに行った友也に対し語られる。それまで、どんな死に方をするか、いつ死ぬか、そんなことばかり話し合っていた友也たちは、必死になり綾音の死体を探し始める……。
友也の夢に登場した綾音は「私は生きたかった。だから、きみにも、生きていてほしい」「絵を描けるのは生きている間だけ。死んだら絵筆は握れないよ」と言う。友也は綾音を通じて、生きていれば悲しいことももちろんあるが、それと同時に生きているからこそ嬉しいことや新しい出会いがあることに気が付く。一言で死に追いやる言葉があるとすれば、反対に一言で救い出せる言葉もあることを印象づける場面だ。
本書では絢音と会うために何度も線香花火をするのだが、すぐに消えてしまう線香花火のように儚く、パチパチと弾ける花火のように美しい夏の物語である。
本書はloundrawが原案であり、乙一(安達寛高)が執筆している。10代からイラストレーターとして活躍しているloundrawと、16歳で作家デビューをした乙一という、10代から大活躍をしている人たちが作った、映画作品のノベライズだ。映画はloundrawならではの繊細な絵柄と透き通るような背景が、作品の雰囲気と非常にマッチしている。ストーリーも小説版とは異なる部分があるので、映画も合わせて見てほしい。
塚本愛 / 神戸松蔭女子学院大学文学部2年
★つかもと・あい=神戸松蔭女子学院大学文学部2年。読書やアニメ・映画鑑賞が趣味。一年前から趣味で本格的に小説を書き始めたが、文章による表現能力のなさに絶望し、練習する日々。