【正欲/朝井リョウ】評者:川田愛珠(神戸海星女子学院大学1年)

 多様性という言葉は、自分がどのくらいの視野で世界を見つめているのかを測る1つの指標になるのだと、本書は教えてくれる。そして私は多様性を何て狭義に捉えてきたのかと、今までの安易な考えを恥じた。

 物語は連作形式になっており、平成から元号が変わろうとする時期に、時代のアップデートが叫ばれる最中、多様性について思いを巡らす5人の視点で構成されている。それは己の正義感を妻子に押し付ける検察官だったり、自分を受け入れる世界は無いと、心を閉ざす男子大学生だったり……。どの登場人物も互いの正義感や価値観をかざし、万事解決とはいかない。歩み寄り、受け入れようとする姿勢が、時として人を深く傷つけてしまう事実を読者は思い知らされるのである。

 ここから、私が一番印象に残った話を綴ろうと思う。神戸八重子が通う大学では、ミスコンが学園祭の目玉となっていた。だが、実行委員である八重子は容姿で序列をつける事はこれからの時代にふさわしくないと考えだす。そして性的搾取に繋がるのでは、とも。女性に向けられる性的な目線に嫌悪感を抱く彼女。その思いは、日々増していく。交渉の結果、ミスコン廃止、初のダイバーシティフェス開催が決定した時、彼女は会心の笑みを浮かべたに違いない。自身の男性へのトラウマを昇華する意味も込めて、ダイバーシティフェス、つまり「多様性を称える祝祭の場」を創り出した。

 知らないことは、その事象が世界に存在しないと同義である。八重子は、同級生の諸橋大也の事を理解しているつもりが、無自覚にも自らの創造する都合の良いカテゴリーの中に、彼を押し込んでいる。2人の関係は、学園祭実行委員と、ステージの出演者。彼の所属するダンス部「スペード」はダイバーシティフェスへの出演依頼を受け、彼女と出会うことになる。ただ八重子は、大也が自らの意思ではなくミスコンに出場させられたときから、自分がトラウマを抱えて以降、唯一怖くないと思えた相手だと好意を寄せていた。一方の大也は、多様性を認め合う大切さを説く彼女に嫌悪感を抱く。自分の事をマイノリティにすら入らない存在と自覚していたからだ。多様性とは、マジョリティから見たものでしかない、と。だが何も知らない彼女は、彼にも乗り越えるべきトラウマがあると思い違いをしていた。同志として共に戦える存在だと信じていたのだ。

 それから一年経ち、偶然にも同じゼミに配属された2人は再会を果たす。幾度か会話を交わすが、自分を受け入れる世界は無いと思う彼は、彼女が放つ一点の曇りもない無邪気な善意に嫌気が増す。ラストでは、多様性は幸せを意味すると一貫して主張する彼女に、ついに怒りを露にする。「お前らが想像すらできないような人間はこの世界にいっぱいいる」と。自分の持つアイデンティティが周囲とは違うと疎外感を覚える彼と、自分もトラウマがあり、その悩みに寄り添えるはずだと思い込む彼女。八重子の行動が功を成したのか、是非本文で確かめてほしい。

 確かに多様性には、互いに支え合い認め合うといったイメージがある。しかしそう思う人こそ本書を読むことをお勧めする。本当の多様性とはいかに胸が詰まるかを、示唆してくれることだろう。

この記事を書いた人

★かわた・まなみ=神戸海星女子学院大学1年。

アート×まちづくりに関心があります。休みの日は、デザイン本を読むか、海外文学の勉強をしています。

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