【推し、燃ゆ/宇佐見りん】評者:畠山夏海  ( 帝京大学文学部史学科2年)

一昔前までは、暗く陰鬱なイメージを持たれていたオタク文化は、今では「ジャニオタ」や「ドルオタ」、「オタ活」、「推し」という言葉が普及するほど世間一般に浸透している。オタクを一言で表わすなら「猪突猛進」である。自分が「好き」と思ったら、自分を取り巻く視野と世界が一気に推し中心になってしまう。そして推しを神仏の如く「尊い」と拝み、「お布施」「貢ぎ物」と称して、グッズやチケットを購入するのだ。

 本書は、そんな「猪突猛進」なオタクが主人公の物語である。主人公・あかりの「推し」が暴力沙汰を起こし、炎上する場面から物語は始まる。「炎上」と聞くと、マイナスの感情が湧きがちだ。実際、「推し」から離れる人が出、人気も落ちていった。しかし、あかりの思いは、周囲が「推し」を貶めても変わらずに、物語が進んでいくごとに寧ろヒートアップしていく。つまり「応援」から「依存」になるのだ。あかりは脇目も振らずただ世界軸を推し中心に生きていく。そして、推しがアイドルを辞めることになると、それまでギリギリ保ってきた日常生活や学業が疎かになり、「推し」のためのお金を稼ぐために頑張っていたバイトも無断欠勤し、その結果、家族仲も悪化してしまう。

 自分も根っからのオタクである。アイドルではないが、プロ野球オタクで西武とベイスターズを応援している。正月は年に3回やってくる(元旦、2月のキャンプイン、3月の開幕戦)。

 作中の主人公とはジャンルが違えど、オタク的思考はかなり当てはまる。例えば、「かわいい」という言葉をオタクは多用するが、作中でこのように表現している。「どんなときでも推しはかわいい。甘めな感じのフリルとかリボンとかピンク色とか、そういうものに対するかわいい、とは違う。(中略)どちらかと言えば、からす、なぜ鳴くの、からすはやまに、かわいい七つの子があるからよ、の歌にあるような『かわいい』だと思う。守ってあげたくなる、切なくなるような『かわいい』は最強で、推しがこれから何をしてどうなっても消えることはないだろうと思う」。まさにオタクが抱く膨大で抽象的な感情を繊細且つ的確に表現している、私の好きな場面である。主人公に共感しながら読んでいくと、ある考えに辿り着いた。

 オタクとは「滑稽」だ。この主人公の思考、行動は恐らくこの世に生きるオタクなら誰しもが共感でき、第三者目線から自分を見ているような感覚を味わえる。「尊い」「貢ぐ」という仰々しい言葉を使い、勝手に人を神格化する。他人のことに一喜一憂できる謎の心の余裕。顔も知らぬ同志のコミュニティで盛り上がる。そして、声を枯らし、笑い、時には涙し、必死に応援する姿はとても見られたものではない。

 しかし、全身全霊で推しに愛を注ぎ、応援に打ち込むことが、趣味を超えて生きる意味を作り出す。ファン個人への見返りはなく、一方通行でも存在だけで救われる。友達や親でもない、特別な距離感を持った存在としての推しはオタクの心を支え、動かし、時に破滅をもたらすのだ。オタクという生き物の猪突猛進且つ繊細な心情、そして推しに対する強い思いを是非自分と照らし合わせながら読んでみてほしい。

この記事を書いた人

★はたけやま・なつみ=帝京大学文学部史学科2年。野球オタク歴12年。毎年シーズンオフは専ら無趣味を嘆いていたが、昨年お笑い芸人の「すゑひろがりず」にハマり無趣味生活から脱却。今後は二足の草鞋を履くことを決意。

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