本書は著者にとって三作目となる作品だ。これまでに発表された『かか』『推し、燃ゆ』には、どちらも主人公のSNSを通じた繫がりや、自己形成の様子が表現されている。 しかし、本書においては、ネットワークを介して誰かとコミュニケーションをとるという描写はない。人と人とのかかわりが、対話によって書かれている場面が多い。この特徴を踏まえると、本書は 「直接的な繫がり」を主軸とした物語と言えるのではないか。本書に登場する車の存在もまた、主人公・かんこにおける「繫がり」のモチーフとして表れているように思う。
高校生のかんこは、脳梗塞の後遺症に悩まされる母と、肉体と精神の両方に対して暴力的な一面をもつ父との三人で暮らしている。兄は結婚して家を出ており、弟は今春から祖父母の家に住むようになった。共に暮らしていた兄弟は家を離れ、同居を続けている両親は心身不安定な状況だ。加えてかんこ自身も高校の授業を休みがちになっている。彼女の暮らす家には、暗鬱な空気がよどんでいるように読み取れる。
そんな中、かんこは長時間自宅から距離を置かざるを得なくなった。父方の祖母の葬儀のため、かんこと両親は父の実家へと向かうことになったのである。到着までの二泊三日、昔、家族でよくしていた車中泊を敢行する。その旅というのが本書の中心にある。車内で、母は些細なことで癇癪を起こしたり、かんこの発言に対して父が激昂したりする。家族の感情が高ぶる瞬間があっても、時間が経つと、何事もなかったかのように会話を始める。この旅が光に満ちているとは言えない。それでも、車という空間や、そこで父母と共に過ごす時間が、かんこにとって家族が家族として繫がっていることを認識するためには必要なものだった。
この感覚は、電車や徒歩といった、不特定多数の人込みに紛れて移動する手段で味わえるものではない。家族という特定の複数人を、家とは違って部屋の分かれていない、たったひとつの箱に閉じ込める窮屈さをもつ車であるからこそ、自分にはこの人たちと生きるための確かな居場所があるということを実感するのだと思う。かんこは、祖母の葬儀から帰った後も車中泊を続ける。その結果、彼女のこころは幾分安らぎ、学校にも通えるようになった。かんこは車に籠ることで、家族という範疇にとどまらず、社会との結びつきをも保っているのである。
とはいえ、かんこが保っている繫がりは不安定なもののように感じる。かんこ自身も、車内で生活する状態を「健康的な穏やかさではない」と表現している。この歪んだ穏やかさは、彼女だけが持ち合わせているものではなく、かんこの家族にも内在している。それぞれが傷を負っていて、その痛みが時に唐突に疼き、何となしに癒える。その繰り返しだ。この、終わることのないあやふやなループを、地獄の本質としているのが印象的だった。どんな人でも、このような地獄を巻き起こしながら、他者との繫がりをかろうじて保っているのかもしれない。かんこと家族の姿を通じて、人間の命とは常に曖昧に続いているものであるということを感じる作品だと思う。
★いなば・なつか=明治大学文学部文学科3年。
自室の整頓中、中学時代に使っていた漢字検定の問題集を発見して以降、漢字ブーム到来。大学卒業までに1級合格を最終目標とし、現在は準1級合格に向けて学習に励む。