【ふしぎな図書館/村上春樹、佐々木マキ】評者:植野早織(大阪樟蔭女子大学学芸学部国文学科創作表現コース3回生)

 本書は、魅力あふれる大人向けファンタジー作品である。市立図書館で「オスマントルコ帝国の税金のあつめ方について」の本を探す「ぼく」は、老人に連れられ、地下の閲覧室に向かう。しかし、それは老人の策略で、「ぼく」は地下の牢屋に閉じ込められてしまい、羊男に見張られながら読書をするよう強制される。老人は読書で知識の詰まった「ぼく」の脳みそを最後に吸おうとしていると羊男はいう。絶望する「ぼく」の前に現れたのは美しい少女。しかし羊男はそのような少女は存在しないという。新月の夜に脱出を試みる「ぼく」と羊男。老人はそれを待ち構えている。老人の犬、「ぼく」が大事にしていたむくどり、気づいたら消えていた羊男。家に帰ると心配性の母が待っていたが、三晩不在にしたことはなにも言わなかった。

 ごく短い物語なのですぐに読み終わるが、何度も読み返して時空の繫がりを見つけないと謎が多いまま終わってしまう。短いけれど奥の深い物語なのだ。様々な読みが可能だと思うが、筆者は過去の記憶との向き合い方、大切にしてきた人との別れを乗り越える方法、世の中との距離感の取り方、などがテーマになっていると考える。逃げるときに失ってしまった「革靴」は忘れようとすればするほど頭から離れず、過去の苦しい記憶との向き合い方と重なるところがある。「ぼく」が大切に想っていた少女との別れでは、少女は「ぼく」が前に進むことを促している。その一方で、心配性な母親は予想に反して三晩不在にしたことを気にしていない。世の中は自分が思うほど他人を気にしていないことを表しているとも読み取れる。過去・孤独・世の中と向き合うとき、新月の夜のように自身の闇も深く感じられる。ただ、一歩を踏み出すのもまた、新月の夜のような深い闇の中なのである。また、物語の最後に、「先週の火曜日、母がなくなった」「それでぼくはほんとうのひとりぼっちになった」という記述があるが、時空を超えた繫がりを意識して読むと、母親は「ぼく」が図書館に行く前に既になくなっていた可能性が見えてくる。大切な人との死別を受け入れられなかった「ぼく」が図書館で不思議な世界に迷い込むことによって、記憶の整理をすることができるとも読めるのだ。昔「ぼく」を嚙んだ犬が登場することから、「少女」がむくどりで、置き捨ててきた「革靴」が母親だと考えることもできるかもしれない。そうした上で、朝食を作って「僕」を待っている母親とは……と考え出すと、読者は無限ループに入り込んでしまうのだ。

 この『ふしぎな図書館』という物語は、『カンガルー日和』収載の「図書館奇譚」と併せて読むのも面白いかもしれない。「図書館奇譚」では、家に帰るとむくどりは健在で、『ふしぎな図書館』とは異なっている。「図書館奇譚」の綺麗な絵も好きだが、『ふしぎな図書館』では佐々木マキさんが描き出す、暖かいタッチの絵がたくさん使われており、内容も挿絵もこの本の全てが何度も繰り返し読み直したくなる要素であふれている。この物語は何度も読むことで、自分自身にも新たな発見を与えてくれるのではないだろうかと、そう思う。(佐々木マキ 絵)

この記事を書いた人

★うえの・さおり=大阪樟蔭女子大学学芸学部国文学科創作表現コース3回生。

現在、教育実習に向けて日々、教案を作ったり準備しています。コロナ禍ということもあり色々な制限はありますが、そんな中でも思い出に残るような楽しい授業を展開できる実習になれば良いな、と思っています!

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