いつになったら大人になれるんだろう?
思春期を過ごして大人になることを焦らなかった人なんているのだろうか。幼いころは無邪気に、夢見た大人になれるものだとばかり考えていたが、中高生くらいになるとほんの少し具体的な将来像が見えてきて、自分が大学受験、大学生活、就職というお決まりのコースをなぞり始めていることに気づく。別段それに不満を感じているわけではなくても、まだ大人になりきれなくて、そのステップを上手に踏んでいくことができるかわからない、手探りでしか前に進むことができない自分の未熟さを腹立たしく感じる。好きな人がそばにいるときは殊更そうで、その人が自分の将来にも居続けることを信じて疑わないが、相手をまだ完全に手に入れていないことにより、一層そういった気持ちを掻き立てられる。この作品の主人公フィリップはまさにそのような、大人になれないことに焦る16歳の少年だった。
フィリップと幼馴染のヴァンカは夏休みにブルターニュ海岸の別荘にやってきていた。子供のころから兄妹のように育ってきた2人だったが、それぞれが16歳、15歳になってお互いの恋心に気が付きはじめると、フィリップは彼女の今までと変わらない少年のような振る舞いと、ふと垣間見える女性らしさに揺さぶられるのだった。
いつも通りの日々を過ごしているなか、ある日彼は美しい年上の女性に道を聞かれ、その後偶然再会してから半ば無理やり誘われて体の関係を持ってしまう。ダルレイ夫人と呼ばれるその女性は彼に快感を教え、彼はその快感を得て子供でいることの焦燥感から解放されたけれども、同時に深く傷つき、今まで好きだったことに対して夢中になりきれない白けた気分が続いた。ヴァンカという存在がいるフィリップにとってダルレイ夫人は愛人に過ぎなかったが、彼女は彼の精神に深く食い込んだ。
そして、フィリップにとって特別な秘密だったこの快感を、のちに自ら否定することになる。ダルレイ夫人がフィリップの目の前から去ったあと、フィリップの不貞がヴァンカに知れ、2人は激しく言い争う。嫉妬をむき出しにして憤るヴァンカをフィリップは愛おしく思うが、フィリップがダルレイ夫人に与えられた快感を私だって知っていると言い張る彼女に不快感を隠せない。その日の晩、彼らは家を抜け出してそばがらの上で、不器用ながら愛し合った。フィリップは、ヴァンカが自分が初体験を済ましたときのように傷つくことを予想して、今まで通り過ごそうと慰めるつもりだった。けれどもヴァンカが歌いながら窓を開ける姿を見て、自分が彼女に与えた小さな苦痛と快感をかみしめるのだった。 作中ではフィリップの初体験が《くさび》という言葉で表されている。初体験を済ました日に打ち込んだ《くさび》を境として、生涯を振り返るであろうと。だが彼が打ち込んだ《くさび》は崖を登るための足掛かりになるようなものではなく、道標のようなものだった。私たちは初体験を済ましたその日からころりと大人になれるわけではない。あとから振り返ってそのたびに意味を持たせるのが《くさび》なのだとこの作品を読んで痛感させられた。(手塚 伸一訳)
★わたなべ・りかこ=共立女子大学文芸学部文芸学科日本文学コー3年。好きな雑誌は「ナショナルジオグラフィック」。将来は医療ライターになりたいです。