あなたは孤独ではないだろうか。
ある日、男子高校生が行方不明になった。そしてiと名乗る人物から θ(シータ)へ殺人を促すメッセージが残され、それを皮切りに不可解な見立て殺人が次々起きていく。
月子と浅葱が初めて出会ったシーンが印象的だ。
三日月の夜、月子は車に轢かれかけてパニックになっていた盲目の男性に手を差し伸べる。それを見た浅葱が月子に声をかけて話をしようと持ち掛けるのだが、月子の返答が彼女自身を物語っていたのでその会話をここで紹介したい。
「奢らせてくれない? 尤も、俺これから用事があるからそんなに時間もないんだけど。缶コーヒーでもどう?」と浅葱。
「いいよ。自分から誘っといて時間がないっていうところや、奢るのが屋外ってところなんか気に入った。奢ってくれる?」
月子は自信に溢れていて我が強い。そして常に自分の意志や感覚を大事にする。しかしそれは彼女の一面に過ぎず、繊細で傷付きやすいという面もある。私は月子のそんな個性が好きだ。
月子のみならず他の登場人物たちも一筋縄では描けないほど個性的で、互いの関係性も興味深い。浅葱と月子は、相手の持つ雰囲気が日常から浮いていると互いに感じている。勤勉で穏やかな狐塚と、遊び人で喧嘩も度々する恭司はその正反対さからか同居するほど仲が良いが、彼らの関係性はそれだけではない。秋山教授と真紀ちゃんは控えめで柔和だが、その実自分の手の届く範囲の外にいる人には淡白だ。
彼らはそれぞれに悩みがありながらも概ね平穏に生きているようだったが、この連続殺人事件に巻き込まれていくことになる。iとθは互いに「次のヒント」を示しながら、それに沿った殺人を行っていく。その「ヒント」の内容が、徐々に月子や狐塚の周囲へ近づいていく。そして物語の終盤は怒涛の展開を迎え、iの正体も明かされるのだが……。
本書を読み終えた私は、個性あふれる登場人物たちのその後に思いを馳せずにはいられなかった。そんな読者の期待に応えてくれるのが、我らが辻村深月さん。なんと、この作品の後に出版された『ぼくのメジャースプーン』や『名前探しの放課後』、『本日は大安なり』で、彼や彼女がひょっこり登場しているのだ。それらの作品を読んで胸がいっぱいになるのと同時に、iが出てくることのない事実に、胸が締め付けられた。
本書では、誤解が誤解を呼び、悲劇が引き起こされる。しかし結局のところ、誰の心にも潜んでいる影や危うさ、孤独が悲劇を起こした原因の核を担っていたように思えてならない。人間は、手の届くところに大切な人がいなければ歯止めがかからなくなる。何か取り返しのつかないことをしてしまいそうになった時に、そんなことをしたら大好きで大切なあの人が悲しむ、迷惑がかかる。だからやめよう。そう思える存在がいるということはとても重要なのではないだろうか。
θやiは互いにそのような関係性ではなかったし、残念ながら月子たちも彼らのストッパーにはなり得なかった。しかし、なり得る可能性も十分にあったのだ。少しタイミングが違っていれば悲劇は起きなかったような気さえする。何が明暗を分けてしまったのだろうか。
彼らは、他人に向ける愛や想いはとても深いが、自分に対しては自信がなく、自身を心から愛することも出来ない。だからどれだけ想われても大切にされても、孤独がつきまとう。そして、それゆえ自分が人から愛されていることにすら疑心暗鬼になってしまっていた。もし彼らが自分は愛されていると、孤独ではないと信じることが出来ていたら。初読から一年以上経つ今でも考えずにはいられない。
不器用に他人を愛し大事にするこの物語の登場人物たちが愛しくてならない。彼も彼女も、孤独の闇の中でなく幸せの光の中にいることを心から願う。
★さとう・みゆ=二松學舍大学文学部国文学科2年。「かがみの孤城」を読んで以来、辻村深月の大ファン。マイブームは焼いた鮭。