【i(アイ)/西加奈子】 評者:川部大輝(創価大学文学部人間学科3年)

 主人公の名前は、ワイルド曽田アイ。アメリカ人の父と、日本人の母を持ち、裕福な環境で育てられた女の子である。はじめはニューヨークに住んでいたが、アイが中学校へ進学するころに家族で日本に移住した。

 彼女は普通の日本人とは違った容姿をもつ、華々しい帰国子女であった。そう感じるクラスメートたちは彼女に一目置いており、彼女の居場所は無難に保持されていた。それは高校に進学しても変わらなかった。大学進学も難なくできた。お金の心配もしなくていい。魅力的な容姿と、安全な居場所を彼女は持っていた。

 アイはそのことに苦しんでいた。恵まれた環境で育ち、難なく生きている自分に恥を感じていた。シリア人として生まれた自分が「養子」となり、なんの不自由もない生活をしている一方で、同じ立場で生まれ苦しんでいる人間が世界にたくさん存在していることを感じていた。

 貧困、飢餓、災害、テロ、そして紛争。もしかしたら、アイのように安全な場所で安全に成長できたかもしれない罪のない子どもたちが、苦しみのなかでなにかに殺されていた。助けを求めても誰にも聞こえない子どもたちの悲痛な叫びが、アイにははっきりと聞こえていた。

 「この世界にアイは存在しません。」

 高校の数学の授業で、教師が虚数単位の「i」について語ったこの言葉を、アイはずっと握りしめて生きていた。その言葉を握らざるを得なかったのだ。

 アイは大人になっていくが、何かに殺されていく人々は増えていく一方であった。

 それでもアイには、増えていく苦しみを、少しでも忘れられるような出会いがあった。高校で出会った親友のミナや、原発反対デモで出会い、恋人となるカメラマンのユウなどである。

 虚数は、i×i=-1となる不可思議な数である。この作品に当てはめて考えてみると、アイは殺されていく人々を数え、そこに現実には重ならない自分を当てはめるせいで、想像上の自分自身に苦しんでいるようにみえる。それは苦しい感情を伴い、精神的にマイナスという結果になる。しかし、そのようなアイに、ミナやユウたちとの出会いがかけあわさることで、人生の喜びが生まれ、また困難を乗り越えられるようになる。そして結果的にはマイナスがゼロになり、アイは新たなスタートを切れるようになったのだ。

 そのようにこの作品に当てはめてみつつも、自分自身の解釈に釈然としないものがあった。

 この作品は主人公が救われて読者がひと安心するような簡単な物語ではないはずだった。実際の現実でこの瞬間も、貧困、飢餓、災害、テロ、そして紛争に苦しんでいる人がいる。そしてその人々を、この物語に登場させているのだ。何千、何万もの人間が、この作品の中でも死んでいるのだ。

 私は、この書評を書くなかで、死んでいく人々を、ただの物語上の構成員であると考えていたことに恥を感じ、自己嫌悪した。

 しかし、アイの唯一無二の親友であるミナや、ユウが放つ言葉が、強く心に残った。

 「その気持ちは恥じなくていいよ。」

 この作品は、混沌とした世界に「私」という生命が存在していることを証明し、間違いなく肯定してくれる保証書である。

この記事を書いた人

★かわべ・だいき=創価大学文学部人間学科3年。

散歩とねこと音楽が大好きです。最近は『くるり』のライブにひとりで行きました。幸せでした。

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