【夜と霧/ヴィクトール・E・フランクル】評者:須磨千草(金沢大学医薬保健学域医学類2年)

 第二次世界大戦中にヒットラー率いるナチス・ドイツが、ユダヤ人を対象として大量虐殺を行なっていたことは周知の事実である。これらの様子は『アンネの日記』や「ライフ・イズ・ビューティフル」などにも鮮明に描かれており、ホロコーストが如何に恐ろしいものであったのかを多くの人の頭に焼き付けたことだろう。本書は、収監されていた人々がその事実を受け止めるまでの心の変化の過程を、囚人として収監された著者自身が心理学的な視点から分析したものであり、著者自身の収監生活の体験記である。

 ナチス・ドイツは「身体を打ちこわせ、精神を打ち破れ、心を打ち破れ」を標榜に、様々な手法を持ってユダヤの人々を苦しめた。収監された人々は、亡くなった人の人肉を食す衝動に駆られるほど、満足な食糧も与えられないまま労働力として使われるほか、強制的に「何ら医学的、あるいは科学的にも重要なものではなかった」人体実験の被験者にされた。収容所の病院にあった薬は闇市に流され、適切な治療は受けられない者の方が圧倒的に多く、とても衛生的とは呼べない収容所での生活の中で、感染症にかかって命を落とす者もいたという。

 このようなまさに生き地獄の状態に置かれた人々は、三つの段階を経て順応していく。まず、収容所に到着した人々は第一段階である「収容ショック」の段階に入る。ただこの後すぐ「恩赦妄想」という、根拠はないものの、何故か自分だけは助かるのではないかという妄想に駆られる。そしてその数日後、収容所生活の酷い現実を体験し、喜怒哀楽を感じない「原始的な衝動性」、「無感動」の第二段階に突入する。これをフランクルは「必要な心の防衛」であると説明している。さらに本当に運よく収容所から解放されても、収容者たちは自由になったことが信じられず「離人症」(現実感がなく現実を客観的に見ている感覚に陥ること)の段階に入り、抑圧から一気に解放されたことによる反動に再び苦しむこととなる。

 彼はまた、収容者は皆一様に、常に死と向かい合わせであり、同じように、いつ収容所生活が終わるともわからない状況にあるにも関わらず、自分を保つことが出来る人と、保つことができない人がいることを発見した。それは、如何に「精神的に崩壊しないか」の違いだが、未来や生きる目的、あるいは愛のような「内面的な拠り所」を持つことが出来るかにかかっているという。たとえばフランクル自身は、辛い労働生活の最中に愛する妻を思い浮かべて、自分を励まし続けたほか、収容所内では信じ難いことに芸術やユーモアなども「内面的な拠り所」として大きな役割を果たしていた。

 現代では、ホロコーストに遭う場面はないと信じたいが、こうしたフランクルの気づきは、いじめや、あらゆる事件によるPTSDなどに苦しむ人々にも、有効な分析結果と言えるのではないか。

 ところで『夜と霧』は、2002年に新訳版も出版されている。こちらは旧版と比較して、文字が大きく語り口が柔らかで、心理的変化の段階を明確に区別しているため、読みやすい印象を与える。しかし、旧版には存在した実際の収容所の様子を保存した「写真と図版」がなく、またホロコーストを理解する上で欠かせない70ページにも及ぶ解説が、かなり圧縮されてしまっている。子どもや入門向けとしては新版が、より深くホロコーストを理解するためには、旧版が必読書であると考える。(新版:池田香代子訳、旧版:霜山徳爾訳)

この記事を書いた人

★すま・ちぐさ=金沢大学医薬保健学域医学類2年。

医学と国際協力に関心を持っており、スリランカの教育支援に力を入れている。趣味は読書、ワインなど。

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