【手長姫 英霊の声―1938-1966―/三島由紀夫】評者:井原槙太郎    ( 立教大学文学部文学科文芸・思想専修3年)

三島由紀夫が自決して五十年。彼は今もなお、文学を通して現代に影響を及ぼし続けている一人だ。

 本書には、時代順に彼の短編作品が九編収録されている。少年のころに手掛けたみずみずしい作品「酸模―秋彦の幼き思い出」から、愛憎入り交じる濃厚で艶のある作品「家族合せ」、そして四十代に著した、今も多くの議論を呼んでいる作品「英霊の声」が収められている。

『金閣寺』をはじめ、彼の有名な長編小説を読むのに時間的・体力的に厳しい場合は、本書を手に取り三島世界を満喫するのもおすすめ。彼の挑戦的な書きぶりや、年齢による筆致の変化が堪能できる一冊になっていて、また保坂正康の解説が、われわれ読者の更なる三島文学の理解に手を差し伸べている。

 収録された作品を読み、三島の世界に耽溺し思うことは、彼はただただ美しい物語を書きたかったのだろうということ。政治的色彩が強く滲み出る「英霊の声」を読み終えた後に、ページを戻して若かりし頃の作品をもう一度読み返せば、三島自身の文学に対する動機が純粋無垢に美しい物語を描きたい、そういう意思として感じられるようだ。

「酸模―秋彦の幼き思い出」は彼が十三歳の時に書いた初めての小説。自然の景色に身を浸し、言葉を使ってきめ細やかに表現できる、彼の文学的才能の片鱗がすでに垣間見えている。十三歳の少年が書いた作品とは到底思えないほどの完成度。大作家・三島由紀夫の萌芽を窺うことができる。

 二十代の作品には、彼特有の妖艶で肉感的な描写が顔を覗かせる。「家族合せ」では兄妹同士の情欲じみた関係が描かれ、「手長姫」には盗み癖を持つ主人公・鞠子の不気味な美しさが照り輝いている。他の短編作品のなかにも三島の技巧が至る所に散りばめられていて、どれも読み応え抜群だ。特に彼の文学的な才能によって仕立てられた、コンプレックスや恥じらい、罪、死などを含む艶美な官能は私の心を搔きむしる。

 彼が晩年に書いた「英霊の声」は問題作とされているが、私は読者の心に衝撃を与える力、まさに文学の力をまざまざと見せつける一篇だと思う。この作品は主人公が神霊たちに憑かれた川崎少年の様子を実見する物語だが、三島こそ憑かれながらこの物語を書いたのではないかと思うほど、神霊たちが語る当時の場面が緻密に描かれている。なかでも川崎少年を通して特攻隊の神霊が語る、自ら神風として敵艦に突撃していく姿は鬼気迫るものを感じさせる。私はこの場面を読んだ時、その様子に吸い込まれて息苦しくなってしまった。

「などてすめろぎは人間となりたまひし」の一文には、命を懸けた神霊たちの嘆きもさることながら、三島の煮え立つ思いも刻み込まれているのが手に取るようにわかる。彼の文学の魔力が止め処なく溢れ出てきて我々の観念に迫り圧倒してくる、文章で殴りかかってくるような、なんともおそろしい作品だ。狂気を孕んだこの霊妙な物語が、三島がいなくなって五十年経った今でも議論の俎上に載っているのは、彼の魔力が現代でも息づいているからではないだろうか。

 三島の文学は、私を含め数多くの読者を巻き込みながらこれからの時代も渡っていくに違いない。そして本書は、戦後最大の作家の暴れまくる筆致を味わうのにもってこいの一冊なのだ。

この記事を書いた人

★いはら・しんたろう=立教大学文学部文学科文芸・思想専修3年。専修では詩や評論を書いている。最近は、ファッション誌を持って近くの喫茶店へコーヒーを飲みに行くことにハマっている。

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