【これからの男の子たちへ/太田啓子】評者:スミス 花子 ルネ    (聖心女子大学大学院文学研究科英語英文学専2年)

 

「男なんだから泣くんじゃない」というセリフは、男兄弟がいない私でもよく耳にしてきた言葉である。私も姉も、子どものころ多少の涙を流したとしても、親に咎められることはなかった。男の子はというと、そうはいかない。泣くと「男の子でしょ」と叱られる。本書の著者は、男の子は、社会構造の根底にある「男性性」という既成の枠に自然とはめられ、抑圧されて成長し、時には周囲の女性を苦しめると主張する。

 弁護士として、男らしさの呪縛を幼時から受けた男性が家庭内暴力やハラスメント、また性暴力の加害者になる事案を繰り返し見てきた著者は、男児二人を持つ母親でもある。分かりやすい身近な例を挙げて読者に伝えられるのは、「男たるもの強くあれ」という偏った価値観を男の子に植えつけないため、そして「カンチガイ男子」から性差別や性暴力をする男性に成長しないための試行錯誤を重ねながらの子育ての実践である。既に「有害な男らしさ」をすり込まれた中年や初老の男性の性差別意識を変えるには「労力と時間」が必要なので、社会から性差別をなくすには、「男の子の育て方こそ大切」というのが、本書の立脚点である。

 たとえば、男の子が小学校でスカートめくりやカンチョーなどをすることをどう考えればいいのか。著者は、こうした「バカな男子の幼稚な遊び」が従来許容されてきたことも、性差別に加担する「悪質な行為の矮小化」だと言う。また子ども向けのメディアコンテンツにも性差別的なものが潜んでいるとして『ドラえもん』で、入浴中のしずかちゃんをのび太が「ラッキー」と喜んで覗くというお決まりのシーンが「笑えるエピソード」として挿入されることに疑問を呈している。お風呂を覗くという行為は、プライベート・ゾーンの侵害という意味で性暴力だ。著者はそうした、時折気になる描写が混じる番組やマンガを、子どもに見せないのは現実的ではない。それよりも気になるシーンの問題点を子どもに伝えるようにしている、と述べている。日本には「レイプされないよう」に教える「レイプ・カルチャー」が存在するという指摘も著者はするが、どこかでつながってはいないだろうか。他の章には「セックスする前に男子に知っておいてほしいこと」「セクハラ・性暴力について男子にどう教える?」といったテーマも設けられている。

 本書では三つの対談も収録されている。文筆家・桃山商事代表の清田隆之氏は、自らのホモソーシャルな価値観がいかに培われてきたかを語る。小学校教師の星野俊樹氏は、思春期前の子どもに性やジェンダーの問題をどう伝え、子どもたちとどう一緒に考えていくかを実践し、紹介している。エッセイスト小島慶子氏とは、男の子が直面する「男らしさ」の呪いを言語化によって解く。#Metooなどの女性のためと思える運動も、実は男性特有の「隠れた生きづらさ」を男性が自ら語りはじめるきっかけともなり得るという星野氏の言葉には、はっとした。

 ノンバイナリーの人も含めて、性別の「らしさ」に固着されることなく、誰もが自分らしく生きていけるように、子育てなど身近なところから社会を変えていくことができる。本書を読み、そのように考えることができた。「女性性」と同じく社会的に作られた「男性性」の研究が広がりを見せつつある今、ジェンダー平等の社会は実現できると希望をもたせてくれる一書である。

この記事を書いた人

★こばやし・なつや=帝京大学教育学部初等教育学科4年。関心のあることは、いつまでたっても自己紹介がうまくならないこと。

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