「普通」とはなんだろうか。世の中で「普通」とされていることは、「空気」のように私たちを取り巻いている。余りにも馴染んで当たり前のように存在するので、疑問にも思わず、大人になるにつれ、鈍感になっていく。子供には「当たり前」も「常識」もない。大人が「そういうものだ」と流していることについて無邪気に、「どうして?」「なんで?」と疑問を投げかけてくる。大人は考えないようになってしまったから、無邪気な疑問にたじろぐのである。
本書は、そんな無邪気な問いの数々を読者に投げかけてくる。「恋愛をしなければならないのは何故?」「適齢期になったら結婚をしなければいけないのは何故?」「結婚したら次は子供を産まなければいけないのは何故?」「それらを周りから急かされるのは何故?」。常識とされている恋愛も結婚も出産も、実はそうしなければいけない理由などない。それらの全ては、「当人」が選択することであって、本来、周りがとやかく言うことではないはずだ。無理矢理、先ほどの質問に答えるとすれば、「今までの人間たちがそうして来たから」くらいのものであろう。根拠はない。今までの歴史で多くの人間が繰り返して来た「普通の人間の人生」という「型」みたいなものがあって、それに当てはまっているか・いないかで、普通か異質かを判断しているだけだ。
周りの「地球星人」たちは、「普通」を受け入れて生活しているが、主人公はどうしても違和感を覚え、馴染めずにいる。自分を出来損ないと詰る母親や、すぐヒステリーを起こす姉、無口な父親は、自分がいなくなるだけでとても「家族」らしくなって、上手くいくような感じがする。みんなからかっこいいと評判の塾の伊賀崎先生からは「特別授業」をされ、気付けば身体の感覚は破壊されてしまっていた。そんな生きづらい子供時代からなんとか生き延びて、「普通」とは少し違う結婚をしている今も馴染めないことは変わらなかった。ひょんなことから主人公は、「地球星人」に激しい嫌悪感を抱く夫と、大好きないとこの由宇と共に思い出の秋級の家でしばらく共同生活をすることになった。かつて主人公と同じように生きづらさを感じていて、「一緒に宇宙船に乗って地球から逃げよう」と誓ってくれたはずの由宇は「地球星人」として洗脳されかけていた。監視の目から離れた家で繰り広げられる三人の奇妙な共同生活は、驚愕の結末を迎えることになる。
作中、地球のことを「工場」と呼んでいるが、そう言われてみると、まさしく、ベルトコンベアに乗せられた人間がどんどん選別されていく図が想像される。「工場」では気付かない内に、「型からはみ出ないように生きているか」、お互いに「監視」している。
私たちは、余りにも「人間」になり過ぎたのかもしれない。ほとんど完成された社会の中で、完璧な「人間」として生きようとし過ぎて、お互いを監視し、牽制し合うようになってしまった。自分が「型」を頑張って守っているのに、それを守れない人間が許せなくなっている。
改めて、「普通」とはなんだろうか。私たちは、果たして、思考を停止し、「そういうものだから」と常識を受け入れてしまっていいものなのだろうか。今一度、本書を読んで空気を吸い直してみて欲しい。そして読むことで、登場人物たちが持っている「宇宙人の目」をインストールされた私たちが、よどんで古くなった空気を循環させていかなければならない。
★なかの・ありさ=二松学舎大学文学部国文学科4年。好きな作家は江戸川乱歩。今はジェンダーやフェミニズムについて勉強中。また、小説家を志望。