「恋をすると人は変わる」とよく言われるが、後年、恋を経て変化した自分を客観視したときに、人はその経験をどう捉えるのか。幸せな思い出として心の奥にしまい込んでおくのか、思い出したくない苦い記憶として捨て去ろうとするのか、答えは様々だろう。本作は、良くも悪くも人を変えてしまう「恋」がもたらす愛憎を、生々しく真摯に描き出している。
ある深夜、鳴り続けるチャイムに引き戸を開けた先には、左腕に深い切り傷を作った血まみれの男がいた。藤子は動揺しつつも、父親を訪ねてきた男を治療し、別れ際に彼の名前と職業を思い出す。父親よりも数歳年上のカメラマン全さんは、父親の四十九日を終え、気力を失っていた藤子を連日のように連れ出し、食事を共にする。全さんの誘いをきっかけに藤子は、学生らしい旺盛な食欲を取り戻していく。
藤子はこれまで、恋をしてこなかった。頻繁に恋人を変える友人・菜月の恋愛相談に乗るだけの大学生活を過ごしていた藤子を、全さんとの奇妙な関係が、変えていく――。
この小説は、成長し社会人として日々を過ごす藤子が、全さんと過ごしたひと夏を追想する形で物語が進行する。ある男から全さんの写真集を手渡され、それを機に当時の自分の行動や心情を客観視し、全さんとの幸せな思い出も苦い記憶も同時に思い出そうとする。彼女はなぜ、苦い記憶までも思い出そうとするのか。その問いに対する答えは、本作の冒頭に示されている。
「時間は記憶を濾過していく/思い出とは薄れるものではなく、濾されてしまうもの。細い金属の糸でみっちりと編まれた網に通され、濁りが抜けおちていく。(略)あのひとは決してきれいなだけの人ではなかったから、きれいな記憶になんかしたくはない。思い出の細部を見つめ、目を背けたものに目をこらす」。
このように、藤子の全さんに対する現在の心情が序盤に語られることで、読者も、恋以外すべてを見失った状態ではなく、藤子の客観的なまなざしから、その日々について読み進めることができる。本作は恋愛小説でありながら、藤子の心情の変化や恋の行方を推理しながら読み進めるミステリー小説のような要素を持ちあわせているのだ。この書評を書いた私もまた、謎を秘めた冒頭の描写に惹かれこの小説を読むに至った。
登場人物達は「愛」にまつわる様々な感情を発露させる。友愛、性愛、家族愛、師弟愛、自己顕示や嫌悪感など、藤子と全さんを取り巻く世界には強い感情が溢れている。毎晩のように共に食卓を囲む彼らは、素直な感情を伝え合う。喜びや悲しみ、怒りや後悔。それらはまるでカレーに混ぜ込まれたスパイスのように、食事の最中、交わされる言葉にじんわりと染み込んでいる。何気ない一言から滲み出るその繊細な感情は、ふとした時に露わとなる。
印象深いのは、お好み焼き屋でのやりとりだ。色好みの全さんは、これまで泣かせてきた女性達を軽口ながらも気にかける。それを藤子は「ださい」と一蹴し、心配しなくても全さんのことなんて皆忘れる、と言葉を返す。全さんは「そうだな」としわがれた声で肯定しつつ肩を落とすが、目の奥をぎらぎらと輝かせていた。
普段は飄々としている全さんが不意に露わにする感情は、繊細ながらも触れた人の心を切り刻むような鋭さを有しているのだ。
その感情に直に触れてしまった藤子はどんな変遷を辿ったのか。
是非ともふたりの行く末を見届けて頂きたい。
★やまぐち・じゅん=國學院大學神道文化学部神道文化学科宗教文化コース3年。
小説や絵を描くことが趣味です。創作趣味が高じて、新たな作品を世に送る出版業界を目指すようになりました。日本神話に詰まった魅力を、作品を通じて届けていきたいです。