【同志少女よ、敵を撃て/逢坂冬馬】評者:福留舞(二松学舎大学文学部国文学科3年)

 本作は逢坂冬馬のデビュー作であり、「2022年本屋大賞」を受賞した作品である。時代は独ソ戦が激化した1942年。ソ連のモスクワ近郊の農村に暮らすセラフィマという少女は外交官を目指しており、ソ連とドイツの橋渡しとなることを夢見ていた。しかしある日、村を襲ったドイツ軍によって村人は惨殺され、セラフィマはドイツ人狙撃手により目の前で母親を射殺された。自身も殺されそうになったとき、ソ連軍の狙撃手であるイリーナに救われる。そこでセラフィマは、イリーナから「戦いたいか、死にたいか」と問われる。セラフィマは、母親を撃ったドイツ人狙撃手、そして、母親の遺体を焼き払い、「死者に尊厳はない」と侮辱したイリーナを「殺す」と答え、イリーナが教官を務める訓練学校で狙撃手を目指すことを決意する。

 本作を購入した当初は、歴史背景の丹念な調査による緻密なストーリー構成が評価された作品なのだろう、と予想していた。実際、著者は本作を執筆するにあたり、資料集めだけで半年の時間を費やしたと聞く。そうしたこともあり、表紙を開いたときは、歴史の教科書を読み始めるような気持ちだった。てっきり、当時の史実が数ページに渡って解説されているのだろうと思っていた。しかし、一文目から主人公セラフィマの物語が始まっていた。まるで、頭の中に映画館が建てられたような気持ちだった。セラフィマたちの声や銃声が聞こえるような気がしたし、土煙や崩れ落ちる兵士が見えるような気がした。

 「スコープを覗き、そこを狙った。しかしその瞬間、眼前から凄まじい熱波が吹き付けた。「うっ」危険を察知し、反射的に伏せた。そして顔を上げたとき、目の前に地獄があった」

 一文が短く、読んでいてリズムがいい。このテンポの良さも手伝って、一気に読み通した。

 「自分が怪物に近づいてゆくという実感が確かにあった。しかし、怪物でなければこの戦いを生き延びることはできないのだ。(略)悪夢にうなされる自分でありたかった」

 戦いに染まっていくセラフィマがとても悲しく、見ていてとても苦しいのに、読むのをやめられなかった。

 読み終わった直後はとても疲労していた。その日は大学を休もうかと思ったほどだった。本作の重要なテーマの一つであるセラフィマの復讐。母親を射殺したドイツ人狙撃手はともかく、同じく復讐の対象であると同時に狙撃の師であるイリーナに対して、セラフィマはある種の絆を抱くようになる。それは作中で明言されていない。しかし、心の中でイリーナを「鬼畜」と呼ぶことはあっても、重ねられたイリーナの手を「温かい」と感じるなど、セラフィマ自身も無意識に、イリーナに徐々に信頼を寄せていく様が随所にある。その姿を見る度、「本当にイリーナを殺すのか?」とドキドキした。

 最終章で、イリーナへの気持ちを自覚した直後、セラフィマは「私を撃て」と言われる。作中最も緊迫する場面である。セラフィマの復讐、そしてその後の人生がどうなるのか、ぜひ本作を読んで確かめてほしい。また、セラフィマの同期で女性狙撃小隊の狙撃手たちにも注目してほしい。一人残らず魅力的で、いわゆる「推し」が見つかるかもしれない。

この記事を書いた人

★ふくどめ・まい=二松学舎大学文学部国文学科3年。

推しの二次創作を書くことが生きがい。お酒のおいしさが少し分かるようになってきた。

週刊読書人2022年11月18日号(データ版購入可能)

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