【蜩ノ記/葉室麟】評者:瀬戸咲良(二松学舎大学文学部国文学科1年)


蜩ノ記
著 者:葉室麟
出版社:祥伝社
ISBN13:978-4-396-33890-9

 

「蜩」と聞くと、晩夏から秋にかけて、夕暮れを惜しむようにカナカナと山に木霊する声を思い出す。それはどこか物悲しく、哀愁を孕んでいるようでいて、懐かしい。目を閉じれば、そんな景色が瞼の裏に浮かんできた。

 この物語の軸となるのは二つの書き物、「蜩ノ記」と「三浦家譜」である。

「蜩ノ記」は主人公、戸田秋谷が認めた日記、「三浦家譜」は戸田秋谷ともう一人の主人公ともいえる壇野庄三郎の二人が仕えている羽根藩の歴史の記録だ。

 主人公、戸田秋谷の命には、十年という限りがある。

 以前、幕府に使える身だった秋谷は問題を起こし、「三浦家譜」の編纂終了までの十年間の命とされてしまう。そしてその秋谷のお目付け役として遣わされたのが、場内で刃傷沙汰を起こしたが切腹を免れた、壇野庄三郎だ。

 最初はぎこちなかった監視者と監視対象の生活は向山村という小さな農村で始まった。庄三郎は人格者である秋谷と過ごすうちに、だんだんとその罪に疑問を覚え始める。そんな時に秋谷の日記である「蜩ノ記」にとある記述を見つけてしまい、庄三郎を取り巻く環境は勢い良く変わっていく。

「蜩ノ記」には「その日暮らし」という意味も含まれており、一日一日を大切に生きる秋谷らしい名付けを感じると同時に、「三浦家譜」が完成した暁には、蜩のように秋谷の命が儚くも散ることを思い出させる。

 その中でこの物語のもう一つのテーマとして、「愛」というものが響いてくるように思う。愛と一言にいっても形は様々だ。家族愛、友愛、親子愛、夫婦愛、敬愛や親愛。個性豊かな登場人物たちがさまざまな形の愛を交わしあう。

 たとえば、私の好きなシーンの一つに秋谷の嫡男である郁太郎が、庄三郎は秋谷の死を見届けるために遣わされたことを知るシーンがある。十を数えたばかりの少年が背負うにはあまりにも辛すぎる現実に、この時郁太郎は武士の子供としてではなく一人の少年として涙ながらにその胸中を訴えかける。庄三郎はその訴えを正面から受け止め、悩みながらも真摯に向き合っていく。

 不器用ながらも支えあい、相手のことを思いあう気持ちに、人間としての根源的な愛を感じた。人と人との距離が開いてしまった現代だからこそ、この不思議な形の家族を、とても愛おしく思った。この家族に、憧れを抱いた。

 著者は、様々な受賞歴のある歴史小説の名手であり、この作品で第146回直木賞を受賞している。著者は傾向的に、勝者として歴史に名を刻む者達ではなく、小さな藩の一役人であったり、いわゆる出世レースから脱落した人々を描くことが多い。名は残らないかもしれない、しかし確かにその人達が今の時代を作り上げてきたことに間違いは無い。その姿や人生は、アツい。

 私は人生で初めて手に取った歴史小説がこの『蜩ノ記』であった。当時は歴史小説というジャンルに小難しいイメージを抱いており、少し敬遠しがちだったように思う。が、ページを開いた瞬間に、中学生だった私は引き込まれた。美しい緑豊かな風景や川の流れが、鮮明に映像として目の前に再現された気がしたのだ。

 そしてこの作品は、登場人物たちが、とてもよく喋ってくれる。

 メディアミックスとして、本書を原作にした実写映画も制作されている。個人的にはこの愛の形を、小説と映画という二つの切り取り方で楽しんでみてほしい。もちろん賛否両論あると思うが、文字の向こうで、はたまた画面の向こうで、確かに日暮しをしているその人たちの姿を、その目で確かめてほしいのだ。

この記事を書いた人

★せと・さくら=二松学舎大学文学部国文学科1年。大河ドラマがきっかけで歴史に興味を持ち、休日にはカメラと御朱印を片手に城跡や寺社仏閣を巡っている。

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