私たちは性的欲求を直視できているだろうか。
実際のところ、性と真剣に向き合う機会など殆ど無いのではないか。性は義務教育で軽く触れられるのみであり、家庭においても性と向き合うことは稀である。そのため、性への感覚は、専ら友人との人間関係やネット等から得られる情報によって醸成されるが、この状態は社会に出ても改善されることは無い。ライフステージが変わっても、性に対する道徳や知識は依然として乏しいままなのである。以上のような状況にあっては、性犯罪や性的依存症のような問題を他人事として退けてしまうのも致し方がないだろう。
『痴漢外来』と題されているこの本は、性犯罪や性的依存症などの治療や研究に取り組む、臨床心理学者の原田隆之氏によって著された。その中では、痴漢の基本的知識やその症的側面を判別する科学的な基準、或いは性的依存症のメカニズムやその治療のあり方が説明される。また、性的依存症患者のリアルな姿も描写されている。彼らの多くは、ストレスへの対処に失敗してしまったがために性的依存症に陥った人達で、「やめたいのに、やめられない」、もはや自力では解決できない状態にあることが示される。加えて、被害者側の議論も詳細に行われており、性犯罪被害者に対して不足している理解や法整備、或いは男女差別の問題も扱われる。精緻に構成されている本書を読めば、性犯罪や性的依存症へ向き合うための最低限の知識が手に入るだろう。
医療の現場や学問の視点から性犯罪に向き合い続けている原田氏は、性の問題を忌避する私たちにこう問い掛ける。
痴漢などの性犯罪者を刑務所に閉じ込めておきさえすればそれでよいと考えるのだろうか。何の治療も教育もせず、ただ閉じ込めておいて、刑期が終われば釈放するだけでよいと言うのだろうか。
社会規範を逸脱する性的問題行動は、往々にして、「自己責任」や「厳罰化」などという言葉で片づけられるが、事態はそんなに簡単なものではない。本書を通して登場するのは、罪悪感や強いストレスを抱えながら、性的依存症と懸命に向き合う人々である。「性犯罪」や「性倒錯」という言葉を聞くと、思わず隔離して見えないところへ追いやりたくなる。しかしながら、『ケーキの切れない非行少年たち』で宮口幸治氏が提起した「非行少年の直視」という要請は、現実に存在する問題を知りながらも、まともに向き合おうとしない社会を批判したものではなかったか。本書における原田氏の問題意識も、「痴漢が大きな社会問題であり続けていることは皆わかっているのに、驚くほど何の対策も講じられていない」という点にあり、私たちの意識の改革はそのメルクマールなのである。
近年、価値観の多様化により、性へのタブーが以前よりも少なくなってきたと言われるが、それだけでは人間の性の問題は片付かない。私たちは今もなお、自らの性や身体性、他者性などから目を逸らしているのだ。『痴漢外来』では、その現実がありありと描かれるが、それと同時に、自らの身体と向き合う方法、またそれを手助けしてくれる人の存在が示される。身体という理解が困難な他者とどう向き合えば良いのか、私たちに「手摺」を与えてくれるのである。
★いしい・ゆうだい=明治大学政治経済学部政治学科3年。