連日続く職員会議。自習のはずがざわつく教室。「修学旅行はどうなってしまうのか」。国際情勢が私の生活に影響した瞬間だった。
本書は、2012年シリアの地で殉職したジャーナリスト山本美香さんの素顔に、公私にわたるパートナーである佐藤さんへのインタビューを通し迫った本だ。佐藤さんへのインタビューの間に、山本さんの著書『中継されなかったバグダッド』の再録が挟み込まれる形で一冊となっている。
山本さんは初めから紛争地の取材をしていたわけではない。佐藤さんが出会った当時は、取材された映像のディレクション作業が山本さんの主な仕事だったが、現地を取材したいという気持ちが溢れ、その後数々の災害、紛争地域を取材することになる。
初めての紛争地域の取材はイスラム圏のアフガニスタン。女性の生活が厳しく制限されている国で、とある民家を訪ねた2人。言葉は通じず、突然の異国からの訪問者に怪訝な表情を浮かべる赤ん坊を抱いた女性。山本さんは日本の童謡を歌うことで、現地の女性の気持ちをやわらげ、心を通わせた。山本さんには、そのように独自の取材スタイルがあった。
2001年には、タリバン政権に対抗する北部同盟が支配する地域で取材をしていた。その後、国連やNGOに避難勧告が発令される緊迫した状況となり、アメリカで同時多発テロが起こる。そうした中で、2人は現地の様子を中継し続けた。
2003年、イラク戦争の取材のために入っていたバグダッドでは、別の社のカメラマンを目の前で亡くすという痛ましい体験をする。その時のことを記した、『中継されなかったバグダッド』が、第二章で再録されている。
その後も、紛争地への取材を続けながら、非常勤講師などを務めることで、次世代に自分の経験を伝える仕事を行った。また、東日本大震災では被災地を、その一年後には原発事故の影響で避難生活を送る女性のアパートを訪ねた。不安な気持ちで暮らす日本の人々の様子が、紛争地で故郷を追われた人々と重なった。
シリア――。そこが最期の地となる。若者や子供が普通に歩いている街角で、山本さんは連射された銃撃によって亡くなる。「あそこ(シリア)は違った」「とにかく無差別さがすごかった」とは、戦場経験が長いジャーナリストが佐藤さんに語った言葉だ。
山本さんの遺したメモにはこのようにある。「外国人ジャーナリストがいることで最悪の事態が防ぐことができる、抑止力」と。
先ほどの修学旅行の話は、北朝鮮が日本以外のとある国にミサイルを撃つことを示唆したために起こった。ミサイルについてのニュースを見るたび、「またか」と軽く考えていた。修学旅行は、結果的に他の国で楽しい思い出ができたので、不幸中の幸いだったが、その経験を機に本書を読み、自分に関係のないことは知らなくても良い、という考えがいかに危険かを思い知った。
第二章で取材陣を攻撃したのは、米英軍であった。「邪魔なメディアを黙らせる攻撃だ」と山本さんは書いている。もし、山本さんら外国人ジャーナリストが「関係ない」と、取材していなければ、一方を正当化し、偏った情報が流れたことが考えられる。
偏った情報が流れれば偏見や差別を生み、差別を受けた側には憎しみが生まれ、争いに発展する可能性があると私は考える。その負の連鎖を防ぐためには、外国人ジャーナリストの広い視点で書かれた情報がなくてはならない。このように考えると、山本さんの遺したメモの意味がやっとわかった気がする。
★よしだ・さおり=甲南女子大学人間科学部文化社会学科3年。
趣味は読書。最近ポケモンのゲームソフトを買ったものの、不器用でなかなか進まない。ゲームは基本1日2時間以内。