【暗いところで待ち合わせ/乙一】評者:大谷美尋  ( 二松學舍大学文学部国文学科3年)

 あなたにいじめられた経験はあるだろうか。例えば学生時代、心無い言葉が書かれた紙を背中に貼られただとか。ちょっとした悪戯のようなものでもやられた側にとっては立派ないじめとなる。気付かず過ごしている間、周囲の人間は、仲間内で指を差し笑っていることだろう。そうして指摘された時に、悪戯を行った人物と周囲で笑っていた人物の悪意を、不意に思い知る。自分だけが悪意に気付かず過ごしていたことに疎外感を覚えるだろう。本書に登場するミチルとアキヒロにも、高校時代に同じ経験があった。

 印刷会社に勤めるアキヒロは、人間の隠された悪意に気付いた時から、集団で過ごす人々を否定するようになり、会社で孤立していた。彼は少し高慢なところがあり、他人との会話の中で価値観のズレを感じた時、自身の考えが侵食され破壊される思いになる。それならいっそのこと、人に関わらなければいいと考えた。外とのギャップに傷つかないように、唯一心を許せた家族とも距離を置くようになり、自分だけの世界に籠っていった。

 ミチルも学生時代に不意打ちの悪意に晒された経験があったが、アキヒロとは違って悪意に怯えた彼女は、集団の中でストレスを抱えながら過ごすことを選んだ。しかし、大学生の時に事故によって視力を失い、不意打ちの悪意を怖れていたこともあり、人との関わりを絶ち、一人っきりの家に籠って生きていた。

 アキヒロは自分を、ミチルは唯一の友人であるカズエを拠り所にして、暗いところに籠った。そんな二人が落ち合ったのは、職場の裏番長のような存在である松永トシオを駅のホームから突き落とし殺した嫌疑により、警察に追われる身になったアキヒロが、ミチルの家を潜伏先に選んだことがきっかけだった。ミチルは、食料の減りが異様に早いことや微かに感じる人の気配から、次第にアキヒロの存在に気づき始めるが、何もせず様子を見ることにした。アキヒロも息を潜めて過ごしていたが、悪意のない環境で共に過ごす内、ミチルを身近に感じ始める。ミチルの身に危険が及びそうになると密かに助け、ミチルもともすると無視できるような曖昧な好意を示した。深く関わることはしなくても、ゆっくりと確かめ合うように順応していく。初めて言葉を交わしたのは、ミチルがそれまで怖れていた外出にアキヒロが付き添ったときだった。足元を何かが横切り、思わず正体を訪ねた彼女に、アキヒロは何の躊躇いもなく、ごく自然に「子供だよ」と答えた。二人の間には、悪意も押し付けの善意もなく、あるのは相手を気遣う気持ちだけだった。一方で、二人が出会うきっかけになった殺人事件もミチルを中心に結末へと向かっていく。

 関わりのある相手は理解したい、と思うはずだ。それでも分かり合えないことがある。理解できない苦しみを消すために、自分とは違うと決めつけて排除しようとしてしまうのが、悪意の正体だと私は考える。もし、無駄な言葉や行動をなしにして、心だけで通じ合えるのであればそんなに素晴らしいことはないだろう。声も動きも見えない、暗いところで待ち合わせた二人の、言葉足らずだが温かい関係性に憧れる人は多いのではないだろうか。

この記事を書いた人

★おおたに・みひろ=二松學舍大学文学部国文学科3年。文章を音読することが得意で、プレゼンテーションが好きである。現在は、興味を引く発表方法を探している。

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