「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
この言葉を残し、高野悦子さんはこの世を去った。
二十歳とはもっとキラキラしており、輝いているものだと思っていた。しかし実際には、筆者は大学生活や部活動を通して自分の不完全さに悩み、落ち込んだ。集団の中で私だけが浮いている感覚にとらわれ、寂しくもあり、何より孤独だった。その時に出会ったのが本書である。
彼女は日記を綴った。誰にも明かせない自己と対話し、内心を文章にした。そうすることで本当の自分を確かめようとした。人はそれぞれ、その人だけの世界を持っている。彼女も日記の中で自分の人生を歩んだ。だが本当に自分とは何かをつかみ、その存在を確信できたのだろうか。この本は自己との格闘の記録でもある。
高野さんは1949年、栃木県那須郡に生まれた。容姿端麗で、勉強もできクラスの人気者。高校卒業後、立命館大学文学部史学科に入学。社会や政治に関心を持ち、部落問題研究会に入部した。だが求めていたものは見つからずに退部。ワンダーフォーゲル部に入りなおし、山登りに打ち込むも、学寮問題が紛糾して大学本部が封鎖され、学業もままならなくなった。自ら行動しようとバリケード封鎖に参加し、機動隊と対峙する中で「大学とは、学生とは、自分とは」について思索を深めていった。その後、観光ホテルでアルバイトをし、自分とは何かを見つけたいと、あえて孤独に身をおく。本書は彼女の二十歳の誕生日の日から、死の直前まで、半年間綴られた日記である。
筆者は小さい頃から完璧を尊び、中途半端であることに不安を感じた。完璧を目指す過程こそが成熟に繫がると考えていた。しかし高野さんの言葉に自省し、楽になった。
「人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである」
彼女も自身に未熟さを感じていた。その未熟さこそを出発点とし、孤独のなかに自分を見つけようとした。
「慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい」
「私は誰かのために生きているわけではない。私自身のためにである」
しかし学園紛争の中で傍観者として、何の態度も表明できず、動けずにいる自分。与えられた環境の中でしか生きていけない、自分が何をやりたいのかもわからない。そして全力を打ち込んだ行動に対する、唯一の友達からの軽蔑。父や母との衝突。失恋。彼女はこの孤独や未熟から逃れようともがき、日記をつけることで生をつないだ。
本書の中に最も多く登場する「未熟」と「孤独」は、彼女自身を表しているのではないだろうか。学園紛争を通して、自分の不安定さに疑問をもった。悩み、もがき、容易に得られない確かなものを求め、苦しんだ。本当の自分を求める旅の帰結が自殺だった。3回生の1969年6月24日の未明、貨物列車に飛び込んだ。
未熟さに悩み、孤独を乗り越えようとしていた高野さんが、なぜ自殺を選んだのか。彼女は本の中で「友がいることは羨ましい。でも私は自己を曲げてまで友を求めようとは思わない」と述べている。この言葉の通り、未熟や孤独から逃れ、自己を貫くために自ら身を滅ぼしたのではないだろうか。
未熟と孤独に向き合い、抱きしめ、手放した高野さんの日記は今も読み継がれている。その時空を超えた筆者へのメッセージは、完璧ではなく、やり残すこともある自分であっても自信をもち力強く生きる力を持てではないかと感じている。
★にった・うゆ=阪南大学国際コミュニケーション学部国際コミュニケーション学科4回生。チアリーディング部として、大会やイベントに向けて日々練習を行なっています。また、山や海など自然に触れることが好きです。