【桐島、部活やめるってよ/朝井リョウ】         評者:光野康平 (金沢大学人間社会学域法学類三年)


「負の感情からの解放」
 
これを感じるために筆者は、朝井リョウの本を何度も手にする。大学在学中に小説家デビュー。その4年後の2013年『何者』で平成生まれ初の直木賞を受賞した。彼の作品の登場人物の多くは、負の感情を抱えている。就活をテーマにした『何者』では、他者を批判することで優越感を持つ大学生。平成をテーマにした『死にがいを求めて生きているの』では、環境に嘆き何も成し遂げようとしない会社員。彼らが抱く負の感情は哀れでありながらもどこか共感してしまう。そして中でも筆者が一番登場人物たちに自分を重ねた作品がデビュー作『桐島、部活やめるってよ』だ。
 
本書はバレー部のエース桐島が部活に出てこなくなったことをきっかけに、自分の抱えている問題と向き合うことになった、五人の高校生たちを描いた青春小説である。この作品では高校という閉鎖された世界で生まれてしまう「格差」が鮮明に描かれている。
 
「高校生って不平等だ。たぶん人間的に梨沙より魅力的な人なんて、クラスにたくさんいる。だけど外見が魅力的じゃないから、みんな梨沙に負けるんだ」。
 
「高校って生徒がランク付けされる。なぜか、それは全員の意見が一致する。英語とか国語ではわけわかんない答えを連発するヤツでもランク付けだけは間違わない。大きく分けると目立つ人と目立たない人。運動部と文化部」。
 
大人と子どもの境界期にいる高校生、彼らは固有の地位や肩書がない。だからこそ、学校という小さな世界の中、外見や明るさといった安易で残酷な尺度で、「格差」を形成してしまう。それがスクールカーストだ。その世界の息苦しさを筆者は知っている。だから、スクールカーストの中で生きづらさを感じている登場人物と、あの頃の自分が、何度も重なってしまう。
 
読むのが苦しくなるほど抱いてしまう共感。そして、終盤で用意されている解放。このような読書体験ができるのは、著者が人間の本質を捉えているからだ。
 
「お肉をたべている時点で完璧でいられない」。これは著者があるラジオ番組で語った言葉である。生命の尊さを語りながらも、抵抗なく生命を食するのが大方の人間だ。そして著者は作品を通して矛盾した感情を抱えた人間を受け入れる。完璧ではない、汚くて醜い登場人物に光を与える。
 
目立たない自分に劣等感を抱き好きな人に近づけない少女が、恋の痛みを芸術に昇華しようとする姿。外見がいいだけで目立っていることに虚無感を抱いていた少年が、自身の内面と向き合う姿。学校という不条理な世界でそれぞれの葛藤を抱きながら、五人の高校生は不格好ながらも必死に生き抜く。そして一人一人が世界の抑圧、自己の抑圧から解放されて成長する姿には彼らの葛藤に読者が共感して、苦しめば苦しむほど、勇気をもらうことができる。
 
読み終わったあと、あの頃の自分を抱きしめたくなる、そんな一冊だ。

この記事を書いた人

★みつの・こうへい=金沢大学人間社会学域法学類3年。検察官を目指して勉強中。休日は午前中に映画館、午後は本屋さんを歩きまわってます。昨年度ベスト映画は白石和彌監督の「凪待ち」。

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