【華氏451度/レイ・ブラッドベリ】評者:清水友世(創価大学教育学部児童教育学科4年)

 タイトルの『華氏451度』、これは本を燃やし尽くす温度を示している。

 本書の舞台は、「ラウンジ壁」と呼ばれるテレビや「巻貝」と呼ばれるラジオといった娯楽に、人々を溺れさせることで、個人の考えを無視した全体主義で支配しようとする近未来社会。思考を深める「本」は、不要な論争を生む有害なものとして、全て焼却されなければならない。日常生活のほとんどが機械によって効率化され、大衆の心を摑んで離さないものは、誰も苦労することのない感覚的な娯楽であった。その裏では、政府によって戦争が始められるが、自分の生活は守られて平和であると信じる民衆は、無関心のまま戦火に巻き込まれていく。

 主人公ガイ・モンターグは本を燃やす職業である昇火士(ファイアマン)として、誇りを持って働く一人だ。その上、彼にとって本を燃やすことは、一種の快楽をもたらす愉しみでもあった。だが、ある晩17歳の少女クラリスと出会う。クラリスは彼に、自由に思考することの価値を教えた人物として、彼の心に残り続けた。その後、本を持つ違法行為を犯した老女を本もろともに燃やした事件は、彼の生き方に変化を与える決定打となった。「人が世の中や人生をながめて、考えたことのいくらかを紙に写すのに一生かかっても、ぼくがたった二分で駆けつけて、ドカーン! おしまいだ」。そうしてついに、社会に対する疑念と興味とを抱いて、彼は諸悪の根源とされてきた本に手を出し、自らを危険にさらしていく。

 1953年に本書を出版した著者レイ・ブラッドベリは、それまでにも何度か、マスメディアに支配される社会が、文化と知性を破壊することへの問題提起をテーマに小説を描いている。今作は、個人の自由な思考を制限する政府と、マスメディアに踊らされる民衆を、風刺的に登場させた著者の代表作品である。

 ブラッドベリの想像した近未来は、まさにいま、この現在に起こっているのではないだろうか。本書の設定を想像した著者の先見の明に驚きを感じる。私たちの生活時間は超小型化された機械に大半を奪われ、SNSでは毎日誰かの言葉が「炎上」しているのだ。昇火士の隊長ベイティーは「忘れてしまえ。ぜんぶ燃やしてしまえ、なにもかも燃やしてしまえ。火は明るい。火は清潔だ」と語る。この意識が根付いてしまえば、真の平和は得られない。

 本書を読んで、私自身の今までの生き方を振り返ることができた。自分が感じているそれ以上に、物事を深く考える時間はとても短い。だからこそ、私たちは「なぜ?」を大切にしなければならないと考える。主人公の目に映るような、愚鈍で、灰色の目をした人にならないように。そして、誰かをカーペットについたしみのように消し去るのではなく、記憶し、考え、それを伝えて成長すべきである。「花がたっぷりの雨と黒土によって育つのではなく、花が花を養分として生きようとする時代に生きておるのだよ」。これは、主人公とフェーバー教授の対話の中の、印象深い言葉だ。これからの時代をどう生きるべきか、ぜひご一読いただきたい。(伊藤典夫訳)

この記事を書いた人

★しみず・ともよ=創価大学教育学部児童教育学科4年。

趣味は読書。最近取り組んでいることは、児童教育に関する卒業論文の製作です。

週刊読書人2021年11月19日号(データ版購入可能)

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