【密やかな結晶/小川洋子】評者:小林捺哉(帝京大学大学院教職研究科教職実践専攻1年)

 また消滅が起こった。今度は何がなくなったのかまだわからない。生活からそのものの意味や価値がなくなっていく。起き上がり今回消えたものが「小説」であることがわかった。

 この島では消滅と呼ばれる現象が度々人々に降りかかる。消滅は固有名詞を持つ万物に起こった。「香水」、「バラ」、「春夏秋」、「右腕」。消滅が起こったものは島の全員で処理をする。川に流したり時には燃やしたり。どうしても処理できないものは放置するが、直に皆、何もなかったかのように生活へと帰っていく。消滅が起こったもののことはもう思い出せない。どこか肌寒いはずなのに。

 しかし中には消滅の影響を受けない人たちがいる。消滅は速やかに行われなくてはならない。消滅の治安維持のために島には記憶狩りと呼ばれている集団がいる。記憶狩りは消滅の影響を受けないものたちを連行してどこかに隔離している。島のあちこちで連れていかれた人の話を耳にする。それすらも日常生活である。

 「わたし」は消滅が起こる前は小説を書くことを生業にしていた。それを支えていた編集担当者のR氏は狩られる側の人間だった。「わたし」は彼を三畳ほどしかない小さな隠し部屋に匿うことにした。彼に少しでも喜んでもらえるように、狩られてしまった母が残した消滅したものを小さな部屋に集めた。「わたし」たちは「小説」をどうするか話し合った。

 このやり取りの中で消滅する者と消滅しない者の違いが出ていた。「わたし」にとって消滅の起こった小説は彼を危険に晒すもの以上の意味合いがなくなっていた。それに対して彼は危険を承知の上で「わたし」にとって心を豊かにする大切なものと主張した。同じように大切だと思い合っていたものが二人の意見が食い違う分岐点になってしまった瞬間であった。

 この瞬間は物語に限られた話ではないはずだ。かつて大切だったものが、時が経つにつれて大切ではなくなることを劇的に表していると考えられる。あれだけ欲しがったぬいぐるみがいつのまにか部屋に転がるような。

 私たちはどうしても忘れていくようにできている。覚えておこうとしたのに忘れてしまって、覚えておこうとしたこと自体も忘れてしまう。このことを考えると怖くなる。何かを摑もうとしているのに、摑む手が、そもそもないことに気がついてしまうような……。これは寂しさではない。希望でもなければ絶望でもなく、虚無でもない。確かな形を持った何か、だがどうもこのことを言葉にすることはできない。確かに味わったことがあるはずなのに。見ているもの、見ていたものに靄がかかり始めるこの体験をどうか味わってほしい。

この記事を書いた人

★こばやし・なつや=帝京大学大学院教職研究科教職実践専攻1年。あと人生通算何回自己紹介すればいいのか教えてほしい。

週刊読書人2022年10月14日号(データ版購入可能)

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