【古典モノ語り/山本淳子】評者:杉本あすか(大阪樟蔭女子大学学芸学部国文学科4年)

 私は日本古典文学を研究するゼミに所属し、『源氏物語』をテーマに卒業論文を執筆している。その資料を集める中、この一冊と出会った。

 「物」に特化して、日本古典文学を繙く本書では、「物は人を取り巻く森羅万象であり、人がそれらを何かの目的で使う時、道具とな」ると定義する。平安時代ならではの牛車や御帳台、築地、あるいは現代にも通ずる犬や扇、そして物への書き付けなど、様々な「物」が、本書の分析の対象だ。

 実際にその「物」が文学作品中に登場している場面が抜粋され、原文と現代語訳を同時に楽しむことができる。どの作品がどのような雰囲気を持つのかを少しずつ味わえるため、日本古典文学の中で何から読もうか迷っているときの道しるべにもなる。また巻末には、引用作品・参考文献と、引用作品概要がまとめられているので、登場した作品をさらに読みたいとき、強い味方になってくれるだろう。

 本書の中から、「橘」の章を見てみよう。まず、『源氏物語』が取り上げられているのだが、関わりのある女性たちを植物に例える光源氏は、橘には明石の御方をあてている。ここでの橘は、「花も実もある」人生、名実ともに備わった人生を指すようだ。

 橘とは、平安時代の柑橘類の総称である。植物は本来、花が咲き散ってから実がつくものだが、柑橘類は、実がなっている時期が長いことから、去年なった実をつけたまま今年の花を咲かせることがあるという。つまり「花も実もある」という表現は、橘については不思議なことではなく、『枕草子』や『和漢朗詠集』にも、「花も実もある」橘が記されている。

 さらに時代の流れを追うと、古くから「永遠性」にも関わりがあるようだ。上代の『日本書紀』では、橘は「非時香菓」と呼ばれた。「非時」は「時にかかわらず常にある」ことを意味する。また奈良時代の『万葉集』には、永らく忠節を尽くしてくれた橘一族に対して、天皇が贈った橘の和歌が収められた。この和歌が詠まれた三十年後、『万葉集』の成立に関わった大伴家持も、橘を「非時香菓」とした和歌を詠んでいる。このように作品を通して、橘には長い間「花も実もある」「永遠性」というイメージがあったと分かるのだ。『源氏物語』の中で橘に例えられた明石の御方は、年を重ねても孫にあたる大勢の宮たちを見守り、一族の繁栄を支え続けた。光源氏の命名の確かさをも知ることができるのである。

 本書を読んで、物語に描かれた何気ない場面に、当時の人々の生活や感情がにじみ出ていると知った。この着眼点を得て、それまでも楽しく読んでいた『源氏物語』を、より当時の生活に寄り添った気持ちで読めた。現代では馴染みのない「物」でも、日本古典文学が生まれた当時には、たとえば現代でいうスマホのように、たしかに人々の生活に寄り添っていたのだと。登場人物の心情を分析するとき、「物」の扱われ方に注目することは、手がかりの一つになりそうだ。本書は、日本古典文学にすでに慣れ親しんでいる人も、これから初めて触れる人も、さらに奥深い世界に連れて行ってくれるだろう。

この記事を書いた人

★すぎもと・あすか=大阪樟蔭女子大学学芸学部国文学科4年。

古典文学ゼミ所属。図書館司書を目指して就活中。『源氏物語』の登場人物では「夕霧」推し。今後もたくさんの本と出会いたい。

コメントを残す