育った家の窓の数を尋ねると、相手がどれくらいの貧乏だったかがわかるのだという。「あなた、貧乏人?」という題で始まる第一部は、半年ほど前から家で一切口を利かない娘の緑子を連れて、姉巻子が東京の夏子のもとに来る2泊3日の話である。
巻子がホステスとして働き続ける、夏子の故郷である大阪の「笑橋」は「茶色に変色しながらかたむいているような雑多な密集地帯」で、そこで生活する人は皆、「貧乏の世界の住人」たちだ。シングルマザーの巻子も例外ではなく、貧困は緑子が口を利かなくなったこととも大きく関わっている。自分のために働いてやつれていく母を見て緑子は苦しんでいたが、同級生にからかわれるような巻子の職業のことやお金のことで言い合いになり、巻子の仕事について否定的なことを言って傷つけてしまう。これ以上巻子を傷つけまいと緑子は口をつぐむことにしたのだ。
2日目の夜、初めて口を開き「ほんまのことをゆうてや」とうまく説明できない思いを泣きながら巻子に訴える緑子の声の中には、「笑橋」に生きる人の、吃音の、片言の、「ふるえるようなかすれた声」の、不明瞭な言葉の響きが織り交ぜられている。二人の間に互いを納得させられる言葉はない。小説は、痛みから生じる相手の声に触れることを通じて、母娘を娘同士のように和解させている。
第二部はその8年後で、夏子は念願の作家デビューを果たしている。しかし子供のころ亡き祖母や母、巻子との間にあったようなセンシュアルで親密なつながりのない東京での生活の中で寂寥感を募らせ、自分の子どもを欲するようになる。セックスができないため、精子提供による妊娠の方法を探るが、その中で精子提供によって生まれた善百合子に出会う。彼女は夏子のつくろうとする子どもが、生まれてきたことを心底後悔したらどうするのか、と問い、「自分の子どもがぜったいに苦しまずにすむ唯一の方法っていうのは、その子を存在させないことなんじゃないの」と話す。彼女の言葉に衝撃を受けた夏子は、しかし次第にその訴えを「体のとても深い部分で」理解し、一度は子どもを諦める。
最終的に夏子は子どもをつくることを決断し実行に移すのだが、それを善百合子に「間違うことを選ぼうと思います」と伝える。彼女の言葉に同意しながらも従わないことで、夏子は耳を傾けられてこなかった彼女の声を発せられた言葉以上に感じ取り受け止めて、その痛みを抱えた生を肯定しようとしたのではないだろうか。
出産の場面で幕は閉じられるが、産後の手伝いには大阪から緑子や巻子が来ることになっている。彼女たちが暮らす「笑橋」では、資本を持たず苛烈な経済競争からはじき出されて、それゆえ暴力にさらされやすい人たちが今も身を寄せ合って生きている。周りの女たちの手を借りながら脆弱な存在を生み育てようとする夏子は、「公」も「私」もないような雑多な「笑橋」の空間を、東京の隙間に呼び寄せようとしているのかもしれない。
『夏物語』は、「女性活躍」の謳われる新自由主義的状況下において、どのような人の声が抑圧を被るのか、そしていかに抑圧に抵抗し、他者とともにあることができるのか、考える手掛かりを与えてくれているように思う。
せいみや・ゆい=大阪大学文学部4年。
秋も冬も好きですが、冷たい水は苦手です。すでにシンクは食器でいっぱい。洗濯物もカゴにいっぱい。風呂場のカビと生きていきます。